開港期、現在の横浜港郵便局(横浜市中区日本大通)付近に幕府が外国人向け日用食品街を建てた。その一角で、フランス人にパンの製法を習った内海兵吉が1860年に「富田屋」を開いたのが、近代的なパン販売の始まりとされる。近くに建てられた記念碑の除幕式にはひ孫の幸二さん(78)も出席した。
幸二さんは富田屋で育ち、店舗地下の石窯でフランスパンが焼ける香りを覚えているという。しかし店は接収され、戦後は同業者とともに元町に移ってパン屋を続けた。幸二さんも大学を中退して家業を継いだが、昭和40年ごろに廃業した。
長い年月を経て、実績に光が当たった曽祖父。「パン食文化が普及した現代を知ったら、先祖も驚くのでは」と思いをはせていた。