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日本丸、生きた船で残す 神戸との誘致合戦、「横浜で総帆展帆」で勝利 MM公開33年

横浜みなと新聞 | 神奈川新聞 | 2018年10月1日(月) 14:26

船長経験者も若者たちと一緒に市民ボランティアとして汗を流す
船長経験者も若者たちと一緒に市民ボランティアとして汗を流す

 ミナト横浜のシンボル、帆船日本丸が横浜・みなとみらい21(MM21)地区で公開されて33年。全ての帆を広げる総帆(そうはん)展帆(てんぱん)は年に11回程度、毎年欠かさず続けられている。「太平洋の白鳥」と称された勇姿を見ることができるのは「生きた船として大切に保存してきたから」。そう話す横浜市の元理事で、帆船日本丸記念財団元副会長の安田岩男さん(81)に当時の誘致の舞台裏を聞いた。

 1930年に建造された日本丸は84年に引退するまで約54年間活躍し、1万1500人もの実習生を育てた。引退を控えて横浜など全国10都市が誘致に名乗りを上げ、最大のライバルは神戸だった。


総帆展帆には毎回約100人もの市民ボランティアが参加する=いずれも7月16日
総帆展帆には毎回約100人もの市民ボランティアが参加する=いずれも7月16日

 市と横浜商工会議所などは80年5月に帆船日本丸誘致保存促進会を設立。市港湾局の情報調査室長だった安田さんは、運輸省航海訓練所(現・海技教育機構)に勤務し、日本丸に乗り組んだ経験を買われて市の誘致チームに加わった。

 誘致に際して日本丸が船舶資格を返上して係留型の海洋建築物となれば、建築基準法の対象となる。すると、船内は防火上や避難上の安全性の確保のために大改装が施されることになり、従来のようにマストに上ることもできなくなる。日本丸が持つ価値を失うことが分かった。

 「生きた船で残そう」

 旧横浜船渠(せんきょ)第1号ドックに浮かべ、経済的な負担が大きくても船舶資格(平水区域航行練習船)を維持すると決めた。

 それから一気に動いた。「誘致合戦の最後の最後で『横浜は総帆展帆をやります』と宣言した。神戸との綱引きで、横浜の勝ちにつながった」と明かす。


帆船日本丸の横浜誘致に携わった安田岩男さん(右)。親友で、海王丸などに乗船した望月二朗船長と=23日、横浜市西区
帆船日本丸の横浜誘致に携わった安田岩男さん(右)。親友で、海王丸などに乗船した望月二朗船長と=23日、横浜市西区

 第1回の総帆展帆は85年4月28日。展帆には約100人が力を合わせる必要がある。当初は船乗りのOBらの協力を得て行ったが人数がそろわず、4、5回の後、窮余の一策で打ち出した全面的なボランティア募集作戦は大当たり。「市民を募ってみるとやりたい人が結構いた」。33年間に2300人の展帆ボランティアを育成し、展帆回数は350回を超えた。

 現在「88歳」の日本丸は船体の老朽化が進んでいる。市は今冬にも、第1号ドックの水を抜いてドライドックにして日本丸の大規模修繕工事を行うと発表した。

 「海や船の分野では横浜が一番になってほしい」と語る安田さん。「そのシンボルとなる帆船日本丸を生き船として残していくことが大事。欧米では100歳でも現役で動いている船がある。150歳、200歳まで頑張ってほしい」

 
 

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