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横浜経由「命のビザ」 杉原千畝写真展

横浜みなと新聞 | 神奈川新聞 | 2016年10月3日(月) 13:54

杉原千畝(NPO杉原千畝命のビザ提供)
杉原千畝(NPO杉原千畝命のビザ提供)

 第2次世界大戦中、ナチスの迫害から逃れるユダヤ難民を救った外交官・杉原千畝(ちうね)(1900~86年)。ユダヤ難民を運んだ貨客船「氷川丸」が係留されるなど、横浜は逃避行の重要な中継地だったが、ユダヤ難民の滞在日数が他の中継地に比べて短かったこともあり、彼らの足取りはあまり明らかになっていない。研究者らは情報提供を呼び掛けている。

 横浜市歴史博物館(都筑区)で開催中の「寿福(じゅふく)滋写真展 杉原千畝と命のビザ」は、横浜と「命のビザ」の関連に焦点を当てたコーナーを設けた。展示の一つ、1941年1月12日付の朝日新聞神奈川版記事は「戦火に追はれて漂泊する北欧人 ハマの宿屋は大入満員」と、横浜のホテルがユダヤ難民で混雑する様子を伝える。

 この記事でポーランド脱出劇を語るユダヤ人弁護士・バルハフティク氏は、リトアニア・カウナスの領事館にいた杉原に、ビザ発給を交渉したユダヤ人5人のうちの1人。横浜到着後は当時あったセンターホテル(中区山下町)に半年以上滞在し、ポーランド系難民の救済活動に当たった。

 後に本人が残した手記には、ユダヤ教の戒律に従って、妻がホテル室内で小さな石油コンロを使い、魚や米や野菜を使った料理を作って食べたことなど、横浜での暮らしぶりが記されている。


横浜と命のビザとの関係にスポットを当てたコーナーもある「寿福滋写真展 杉原千畝と命のビザ」=市歴史博物館
横浜と命のビザとの関係にスポットを当てたコーナーもある「寿福滋写真展 杉原千畝と命のビザ」=市歴史博物館


 バルハフティク氏も乗船して渡米した氷川丸は、ユダヤ難民を北米へ避難させた唯一の現存船。乗船リストなども残り、横浜と「命のビザ」の関連を伝える重要な“証人”だ。

 杉原を研究している外務省外交史料館課長補佐の白石仁章(まさあき)さん(53)によると、皇紀2600年に当たった40年は、米大陸から多くの日系移民者がお祝いのために里帰りし、横浜港から出る船は大陸へ戻る彼らで混雑してチケット確保は困難だったという。「杉原のビザ発給と、百年に一度のお祝いの年が重なった、不思議な巡り合わせの年だった」と白石さん。

 ユダヤ難民の多くはシベリア鉄道でウラジオストク(現ロシア)まで陸路移動し、日本船で日本海を渡って敦賀港から上陸した。

 このときユダヤ教研究者の小辻節三は、当時ユダヤ人コミュニティーのあった神戸で警察幹部を説得し、杉原ビザでの滞在期間延長に成功。ユダヤ難民に「所持金が少ない人は神戸へ行け」と指南し、資金不足などですぐに渡航できない人々を救ったとされる。


ユダヤ難民で横浜のホテルが混雑する様子を伝える記事。写真はバルハフティク夫妻(1941年1月12日付朝日新聞神奈川版)
ユダヤ難民で横浜のホテルが混雑する様子を伝える記事。写真はバルハフティク夫妻(1941年1月12日付朝日新聞神奈川版)


 一方、横浜にはすぐに目的地へ渡れるだけの資金を持ったユダヤ難民が集まり、短期間のホテル滞在を経て旅立ったとみられる。「そのためか敦賀や神戸に比べて研究が進んでいない。戦時中を知る人や資料は少なくなっており、情報収集や研究を急がなければならない」と白石さん。

 「杉原リスト」は昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産候補に選定されたことで関心が高まっており、横浜との姉妹都市提携50周年を記念してバンクーバーでも特別展が開かれるなど、「命のビザ」と横浜の関係も少しずつ注目され始めている。

 市歴史博物館の井上攻(おさむ)副館長は「今回の展覧会を、横浜でも研究を進める端緒にしたい」と話している。

 寿福滋写真展は11月27日まで。観覧料無料。月曜休館(10月10日は開館、同11日は休館)。午前9時~午後5時。問い合わせは同館電話045(912)7777。

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