
横浜が誇る国指定名勝「三渓園」(横浜市中区)が今年、完成から100年を迎えた。1922年に国の重要文化財「聴秋閣」が移築されたことで、内苑と外苑からなる園全体が完成した。震災や戦争の被害から復興を果たし、変わらない風景を守ってきた園の歩みを、創設者・原三渓(1868~1939年)の生い立ちとともに振り返る。
1906年に初めて公開された三渓園は、生糸貿易によって財を成した実業家の原三渓によって造られた。東京ドーム4個分に当たる約17万5千平方メートルの敷地に、現在は重要文化財10棟と横浜市指定有形文化財3棟を含む17棟の歴史的建造物があり、豊かな自然と調和した景観が楽しめる。
ライトアップのエリア、例年より拡大
横浜・三渓園、完成から100年 三重塔のライトアップも
1923年4月、三渓園完成のお披露目を兼ねて政財界人らを集めて行われた茶会当日の原三渓(三渓園提供) [写真番号:1125879]
完成前に最後に移築された聴秋閣。奥には園のシンボルである三重塔が見える=横浜市中区の三渓園 [写真番号:1125881]
第2次世界大戦で被害を受けた臨春閣(三渓園提供) [写真番号:1125880]
臨春閣の室内の様子=横浜市中区の三渓園 [写真番号:1125882]
保存修理を終えた臨春閣を背に、その魅力を解説する村田副園長=横浜市中区の三渓園 [写真番号:1125883]
現在は三重塔など歴史的建造物を光で照らす「紅葉ライトアップ」が楽しめる(三渓園提供) [写真番号:1125877]
完成100年を記念し、12月11日まで原三渓の生涯を振り返るパネル展も行われている=横浜市中区の三渓園 [写真番号:1125884]