餓死、自殺、艦船ごと沈んだ海没死、処置という名の傷病兵の殺害…。太平洋戦争の過酷な死の現場を「兵士の目線」から明らかにした歴史学者、吉田裕さんの著書「日本軍兵士」(中公新書)を遅ればせながら読んだ▼傷病兵を自死に追い詰め、殺害にも至った日本軍も当初は、国際条約を認知。国籍を問わず人道的に治療するとする条文に沿って、衛生要員を付けて捕虜になるのを認めていた。それが東条英機陸軍大臣による1941(昭和16)年の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」で決定的に転換した。表向きは「戦死」ながら、無念の死を強いられた人がどれだけいたか▼戦況が悪化し、過重な出撃を迫られる航空兵に半ば強制的に覚醒剤を使わせていたとは。