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来たるべき大災害に向けて 識者に聞く

PR | 神奈川新聞 | 2023年2月20日(月) 00:00

未曽有の被害をもたらした関東大震災から100年となる今年、あらためて過去の災害から学ぶ姿勢が問われている。近い将来、南海トラフ巨大地震や首都直下地震が高確率で起きるとされる中、私たちが知るべき、備えるべきこととは何か。災害史の研究で知られる歴史学者の磯田道史氏、東日本大震災発生時の国土交通省東北地方整備局長で、国土技術研究センター理事長の徳山日出男氏に寄稿してもらい、歴史に向き合う意義を考える。

磯田道史氏(国際日本文化研究センター教授・歴史学者)

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本近世史を専門とし、近年は天災(地震・津波)や感染症などの歴史研究も行う。「日本史の内幕(2017年)」がベストセラーに。映画「殿!利息でござる」や「武士の家計簿」の原作など著書多数。

関東大震災から100年 災害の歴史に学ぶ

関東大震災から100年が経とうとしている。日本人は災害時にパニックを起こしにくいのが長所だが、その分、忘れやすく、起きて困る事態は考えないようにしがちだ。被害を減らすには、災害の歴史に学ばねばならぬ。関東大震災では、先人たちが被害の教訓を子孫に語り継ごうと、「伝承碑」を数多く建立している。武村雅之「関東大震災を歩く」2012年など、これら伝承碑を紹介する図書も出ている。過去に学びたい。

とはいえ、地震被害の様相は毎回違う。関東大震災は焼死、阪神・淡路大震災は圧死、東日本大震災は水死が多かった。まず、地震が起きる時間帯が被害の姿を決める。また、建物が古い木造家屋か、新しいビルか、密集しているか、まばらかなども、生死を分ける。

関東大震災 災害伝承碑から災害を知る

関東大震災を起こした関東地震は相模トラフが割れて動く時に起きる。周期的に、何度も繰り返されているようだ。前々回は、犬公方とよばれた徳川五代将軍・綱吉の時代で1703年に起きた。前回は1923年で、大正の関東大震災である。関東大震災といえば、東京の被害が注目されがちだが、震動の激しさでいえば、神奈川や千葉の県南部が心配される。小田原~茅ヶ崎~鎌倉~館山の線上で特に揺れが大きかった。そのうえ、相模湾などには津波がきた。鎌倉市腰越の浄泉寺には「関東大震災殃死者供養塔」があって、津波で壊滅した腰越津村の80名の供養がなされている。

鎌倉 浄泉寺供養塔

東京都心にも伝承碑はある。渋谷区千駄ヶ谷の将棋会館を見学した時のことだ。隣の鳩森八幡神社にも行ってみた。3つ、見たいものがあった。将棋の守護神・将棋堂と、甲賀百人組が祀っていた甲賀稲荷社と、富士山のミニチュア富士塚である。ここには、富士山の岩も運んできて作った富士塚がある。登れば、富士山登頂に近いご利益がありそうだから登ろうとした。ところが、驚いた。碑があり、こう書いてあった。「関東地方大震災で、この富士山も原の形を失うまでに崩されました」。小山をも崩す凄まじい地震動を想像して恐ろしくなった。

千駄ヶ谷 鳩森八幡神社

恐ろしいといえば、大相撲の国技館と江戸東京博物館が建つ陸軍被服廠跡(墨田区横網)でも感じた。関東大震災時、犠牲者10万5千人のうち3万8千人が落命した場所だ。徳川幕府は明暦の大火の苦い経験から「車長持」の製造と使用を禁じた。家財道具を運ぶ車輪付きの保管箱・車長持で、家財道具を持って逃げると道路がふさがり、引火もする。家財道具を車に載せて逃げるな、との禁令を幕府は徹底していた。ところが、幕府が滅ぶと、これが忘れ去られた。家財を大八車に載せて被服廠跡に逃げ込んだ人々は、すし詰め状態になったうえ、家財に火が付き、あろうことか火災旋風の中で焼死していった(「震災予防調査会報告」第100号戊)。

災害の教訓を生かした街づくりを

災害時には、身軽に逃げるのが肝要だ。地震時は道が道でなくなることも多い。液状化で路面が凸凹に変形する。倒壊した家屋、瓦礫、動けなくなった車両で道路は塞がれる。大学院生の時、私は阪神大震災の被災地を歩いたが、道幅のある道路がいかに役立つかを思い知らされた。大震災百年の節目だ。思い出すべき災害の教訓を再び、かみしめたい。

徳山日出男氏(一般財団法人 国土技術研究センター 理事長)

東京大学工学部土木工学科卒業。博士(工学)。1979年 建設省入省。2011年1月に国土交通省 東北地方整備局長に赴任。着任後、53日目に東日本大震災が発生。人命救助、復旧、復興に尽力する。その後、国土交通省 道路局長、事務次官を経て、2022年6月より現職。

「まさか起きない」は決してない

今年は関東大震災発生から100年の節目、さらに言えば東日本大震災の十三回忌に当たり、これから風化が進んでいく年でもある。だからこそ、今を生きる私たちは歴史に向き合い災害に対する備えに思考の比重をより傾けていかねばならない。

「まさか起きない」は決してない。そのことを私は現地で東日本大震災を経験し、肌身で感じた。身近に迫るリスクがどのようなものかを理解し、備える、いわば自分事にすることが大切だ。

首都圏で現在、切迫性を指摘されているのは首都直下地震だが、1923(大正12)年の関東大震災とはタイプが異なる。関東大震災はプレート境界の相模トラフを震源とする海溝型で、マグニチュード(M)8クラスの巨大地震だ。

このクラスが首都圏を襲うのは200年に1度ぐらい。リスクから言うと、活断層が引き起こす直下型のM7クラスの地震、首都直下地震の方が高い。発生確率は今後30年以内に70%と言われ、今まさに起きてもおかしくない。

直下型「20秒生き残る」が最重要

直下型は海溝型に比べて規模が小さいが、震源が近く、被害が甚大になる可能性がある。しかも海溝型では生じる初期微動がほぼない。同じく直下型の阪神・淡路大震災の際は揺れたと思った瞬間、テレビが横に吹っ飛んでいた。

これらの特徴を踏まえ、何より優先したいのは「20秒生き残る」ことだ。揺れは20秒程度。救急車が来ないことを想定し、怪我にも気をつける。寝室には間違ってもガラスが入っている棚は置かない。

ただ、多くの人が直下型や海溝型の違いなど、備えのための情報を十分に把握していない。ならば自分事にするには何が必要か。段階は三つある。

1,地域のリスクを「知る」、2,過去の事実を調べて「自分事化」する、3,寝室の家具を撤去する、避難訓練に参加するなどの「行動」につなげる―。私が東日本大震災で得た一番の教訓は「備えたことしか役に立たない」ということだ。

過去に学び、未来に伝える

一方で、あらゆる活動の源となる道路は、首都圏でより重要度が増すだろう。

東日本大震災の発生直後、私は南北の幹線道路に続いて沿岸への東西の道路を順次確保する「くしの歯作戦」を指揮したが、作戦には最低限のがれき処理で救援ルートを早急に通す道路啓開が欠かせなかった。首都圏は都心への八方向全てに高速道路や幹線道路がダブルネットワークで整備され、道路啓開への準備も怠っていない。

3月11日発災当日夜の徳山局長メモ

とはいえ、ハードの備えが進んでもソフト面の充実がなければ被害の拡大は防げない。「知る」から「自分事化」に学びを深めるために、全国各地で起きた過去の災害情報をまとめたサイトを作成するなど、自分事にするための体系的な仕組みも構築すべきだ。

国連大学が2016年に公表した報告書によると、日本は調査対象の171カ国のうち自然災害に見舞われるリスクが高い順で4位と評価された。これは欧米の先進国に比べてはるかに高い順位となっている。そのハンディキャップがありながらも日本が発展を遂げられたのは、先人が2千年もの間、歴史に学んで自分事にし、備えを伝承してきたからこそである。

2023年に迎える節目を、防災への意識が醸成された社会を築くために考えを深める契機としたい。

※2月24日に内容の一部を修正しました。

編集・制作=神奈川新聞社クロスメディア営業局
提供=国土交通省 関東地方整備局

 
 

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