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鉄道開業150年②
鉄道遺産 線路跡を巡る ~現代に残る鉄道遺産~

PR | 神奈川新聞 | 2022年10月14日(金) 00:00

 通勤通学で多くの人が利用するJR東海道線は、元を正せば「陸蒸気(おかじょうき)」が走った国内初の鉄道だ。大部分は当時のルートを踏襲しており、大動脈の片隅を丹念に見れば、明治の面影を今も感じることができる。そんな「鉄道遺産」の幾つかを訪ねた。

汽笛一声…旅はここから

(左)開業時のホーム跡が保存されている旧新橋停車場=東京都港区/起点を示す0マイル標。日本の鉄道はここから始まった=旧新橋停車場

 1872(明治5)年に開業した当初の新橋駅を同じ位置に再現したのが「旧新橋停車場」だ。現在の新橋駅から200メートル余り離れた汐留地区にあり、新橋駅が現在地に移転した後は1980年代まで貨物駅の汐留駅だった。一帯の再開発に伴い、開業時の基礎やプラットホームの遺構が出土したのをきっかけに、駅舎が復元され、鉄道歴史展示室として公開されている。
 
 屋外には、石積みのプラットホームや、鉄道の起点を示す「0哩(マイル)標識」なども再現されている。「鉄道唱歌」に「汽笛一声新橋を はや我(わが)汽車は離れたり」と歌われた「新橋」は、この駅のことである。

海上を走った陸蒸気

開業当時の姿で出土した「高輪築堤」=東京都港区(JR東日本提供)

 JR品川駅の改良や、高輪ゲートウェイ駅の開設に伴う再開発などの過程で2019年、長さ1・3キロに及ぶ石垣が出土した。鉄道遺構「高輪築堤」だ。
 
 ここは当時、東京湾の浅瀬だった。線路は、海上に盛り土を行い、石垣で固めた堤の上に敷かれた。つまり、開業当時の陸蒸気は海の上を走っていたのだ。
 
 石積みは近代以前の伝統的な方法という。明治初年の錦絵にも描かれた。再開発に伴い、出土した石垣の大部分は記録された後に解体されたが、約120メートルは国史跡として保存されることが決まっている。

百数十年ぶり 発祥の地に

JR桜木町駅に隣接する「旧横ギャラリー」に展示されている110号機関車=横浜市中区

 JR桜木町駅に隣接する商業施設の一角に、鉄道開業当時の蒸気機関車「110号」が展示されている。同駅が開業当時の横浜駅だった歴史にちなみ、2020年に開設された「旧横ギャラリー」だ。

 110号は鉄道開業の前年、1871(明治4)年に英国で製造された。開業に合わせ輸入された10両の機関車のうちの1両で、1918(大正7)年まで活躍し、近年は青梅鉄道公園(東京都青梅市)で保存展示されていた。百数十年ぶりに発祥の地に帰ってきたことになる。

 開業当時の車両で現存するのは鉄道博物館(さいたま市)の「1号機関車」など3両だけ。後ろには、当時の設計図や写真などを参考に復元された客車が連結されている。110号が載せられているレールは明治初年の英国製レールで、これも歴史的存在だ。

汽車のすす残す「現役最古」

現役最古のJR東海道線清水谷戸トンネル。左が当初のもの=横浜市戸塚区

 現役最古の鉄道トンネルが、東海道線にある。横浜─戸塚間にある清水谷戸トンネル(全長213・7メートル)だ。赤れんがで組み上げられたアーチ状のトンネル上部には、蒸気機関車のすすが黒々と染みついている。

 鉄道開業から15年、神戸を目指し線路の延伸が進む過程で1887(明治20)年に完成した。旧国名でいう武蔵、相模の境に位置し、緩やかな峠になっている。当初は単線だったが、1898(明治31)年にもう一つのトンネルが海側に増設され、異なる形の二つの穴が並んでいる。

関東大震災の痕跡も

関東大震災で倒壊し、そのまま残る東海道線の橋脚=平塚市の相模川

 JR東海道線の下り列車で相模川を渡る時、左側の車窓を見下ろすと、川の中に土台の残骸のような構造物が点々と並ぶのが見える。1923(大正12)年の関東大震災で倒壊した東海道線の橋脚跡だ。赤れんがを積み重ねたもので、河原にも残存している。

 橋の名前は「馬入川橋梁(きょうりょう)」。馬入川は相模川の別名だ。この区間は1887(明治20)年に単線で開業し、1900(明治33)年にはもう一本の線路も完成、複線となった。しかしいずれも震災で倒壊したという。橋脚の一部は、茅ケ崎市文化資料館にも保存されている。

大動脈の「栄枯盛衰」

かつて東海道線として複線だった時代を残す酒匂川の橋脚=山北町

 かつて東海道線の一部だったJR御殿場線には、その栄枯盛衰を今に伝える痕跡が幾つもある。酒匂川を渡る鉄橋の橋脚は石積みの立派なたたずまいで、幅も広い。これは複線だった東海道線時代の名残。片方のレールは戦時中に「不要不急」として撤去され、今も単線のままだ。

 大動脈からローカル線へ。その変転は、県西部の地形による。1889(明治22)年に全通した東海道線は当初、険しい海沿いを避け建設された。国府津から山北、御殿場を経由する現在の御殿場線だ。しかし、ここも急勾配が続き、輸送の大きなネックだった。難工事の末、海側の熱海-函南間に丹那トンネル(全長7・8キロ)が完成したのは1934(昭和9)年のこと。これを境に山北、御殿場回りはローカル線に格下げされた。技術の発達には、いつも明暗を伴う。

(企画・制作:神奈川新聞社クロスメディア営業局)

 
 

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