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神奈川大の実践(特別編)古文書に学ぶ循環社会 日本常民文化研・関口博巨さんに聞く

PR | 神奈川新聞 | 2022年11月23日(水) 05:00

静岡県伊東市周辺の文書には、若い人は都会に出て一旗揚げようという「飛び上がりの心」があった、との記述も。現代と共通するところがある、と関口准教授

 神奈川大学日本常民文化研究所(横浜市神奈川区)は、渋沢栄一の孫で日銀総裁、大蔵大臣を歴任した渋沢敬三が1921(大正10)年創設した「アチックミューゼアムソサエティ」が前身で、100年以上にわたり常民(普通の人々)の生活、文化、歴史を調査、研究している。同研究所の関口博巨准教授(国際日本学部歴史民俗学科)に、所蔵する江戸時代の古文書や調査史料をSDGsの視点で読み解いてもらった。(椿 真理)

江戸の暮らしぶりは

 最初に提示されたのは石川県輪島市の旧家・時国家の古文書。1823(文政6)年のもので、肥料とするため排泄(せつ)物おけ1杯を米4合または2合と交換するという相場が記載されている。「排泄物は重要な資源。他にも江戸っ子の排泄物を近郊の村に運搬する肥船商売の記録が残っている。都市と村の循環がある面では成立していたといえる」と関口准教授。江戸時代の暮らしは限られた資源をどう活用するかがポイントで、例えば着物は、最後ぞうきんにするまで使い倒し、灰も肥料などに活用された。同研究所では下張りに大量の古文書が使われている旧家のふすまを丸ごと保管し研究に活用している。

18世紀後半、二神島(現松山市)の庄屋の記録。二神島の島民は困窮すると、由利島で海草を採ったり野菜を育てたりして糊口(ここう)をしのいだことが記されている

乱開発規制や人口政策

 瀬戸内海にある二神島(現・愛媛県松山市)の庄屋・二神家の古文書には、土地開発に端を発した騒動が記録されている。17世紀前半、松山藩が城下町建設と新田開発のため川の大改修を行ったことで大量の土砂が流出。漁場を失った浜村(現・同県伊予郡付近)の漁師が二神島の属島・由利島でイワシ網漁を操業しようとしてトラブルになったという。「私たちは江戸時代をエコという側面だけでとらえないよう注意する必要がある」と関口准教授。1666(寛文6)年、各地で開発が進む中、江戸幕府は「諸国山川掟」を発布。行き過ぎた開発を規制し治水、治山に努める姿勢を示した。「持続可能な開発」は現代に通じる社会課題だ。

 1834(天保5)年ごろの史料には、妊娠女性をリスト化した「懐妊改」がある。現在の栃木県日光市付近のもので、奉行の指示を受け配下の村の組合が作成したとみられる。このころは凶作が続き飢饉(ききん)が起きていた。「口減らし」が起きないよう子どもを守る側面と、村の人口減少を防ぎ将来の年貢増収につなげようという管理側の思惑が潜む。

近江商人の工夫「三方よし」

 滋賀県を拠点に他国で商売をした近江商人の考え方「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」にちなんだ話題もある。今の埼玉県吉川市、古利根川沿いで酒や酢などの醸造業を営んだ近江日野商人の「幾久屋」は、米収穫後のわらで農民が作るむしろや縄などの藁工品(わらこうひん)に目をつけた。これらは酒など醸造おけの温度管理に適している。地域の藁工品を広く集め、醸造業を営む者が多い近江日野商人のネットワークで販売し、地域の一大地場産業に育てた。このエピソードは近江日野町に残る莚売帳(むしろうりちょう)(藁工品取引に関する帳簿)などの古文書から分かるという。

循環社会へのヒントに

 江戸時代に一般の人が書いた古文書は膨大に残っており、それらを読み解くことで当時の暮らしが鮮やかによみがえる。「ものが少なく化学製品が存在しない時代を単純に現代と比較できないが、乱開発や口減らしといった出来事を前に、庶民と為政者が争ったり協調したりしながら、何とかバランスを取ろうとする様子が古文書から伝わってくる。こうした経験から学ぶことで、新たな循環社会のヒントが得られるかもしれない」と関口准教授は話している。

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