
太平洋戦争中、大和市や座間市にあった軍用機工場「高座海軍工廠(こうしょう)」で働いた台湾少年工をテーマにした講演会が8日、伊勢原市田中の市民文化会館で開かれた。工廠で同僚だった元日本海軍少尉の野口毅さん(92)=東京都=が当時の思い出を振り返った。
野口さんは九州大在学中、志願して海軍に入隊。主計少尉として工廠に配属され、資材調達を担当した。工廠では1943年5月から終戦まで、日本統治下の台湾で志願した10代の少年約8400人も働いていた。
野口さんは45年当時、大和市上草柳にあった少年工の寮で生活。自身の誕生日でもある8月15日の朝について、「物不足の中、少年工が餅も砂糖も入った汁粉を作って誕生日を祝ってくれた」と振り返り、数時間後に敗戦を迎えて日本と台湾が別々の国になったことに複雑な思いを巡らせた。
「少年工の多くが台湾に帰った後もずっと、日本を第二の故郷、心の祖国と思ってくれている」と感謝の意を示し、今も続く交流の原点を懐かしんだ。
講演会は工廠で働いた日本人を中心に、元少年工と交流する伊勢原市の「高座日台の会」(佐野た香会長)が主催。野口さんは同会の名誉会長。