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名もなき兵の軌跡に光 記録失われた「東部62部隊」

社会 | 神奈川新聞 | 2017年3月6日(月) 12:25

みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会が発見した元兵士の墓碑=東京都国立市谷保
みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会が発見した元兵士の墓碑=東京都国立市谷保

 終戦前に現在の川崎市宮前区を中心に駐留し、記録の大半が失われている旧日本陸軍第101連隊(通称・東部62部隊)に所属していた元兵士の墓碑が、東京都国立市で見つかった。墓碑には出兵後の軌跡が記されており、発見した市民グループによると、部隊の一兵士の軌跡が調査で判明したのは初めて。2月には遺族への聞き取り調査も実施し、部隊の実態解明を進めている。

 グループは約2年前から部隊の実態を探る活動をしている「みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会」(大泉雄彦代表)。軍の資料が処分されたため、会員が関係者の証言や遺跡を手掛かりに歴史を掘り起こしており、昨夏、国立市谷保にある農家の敷地の一角に立つ元兵士の墓碑を発見した。

 墓石には「故陸軍伍長 遠藤峯作 昭和二十年七月一日戦死 行年二十五才」と刻まれている。背面には細かい文字で、1942(昭和17)年に東部62部隊に入隊、旧満州北部のソ連国境近くに駐屯した後、フィリピンのレイテ島に上陸し山中の戦闘で戦死した、と出兵後にたどった軌跡も記されている。

 墓碑のある農家の住宅には現在、元兵士の妹2人が暮らしており2月14日、聞き取り調査が行われた。記憶が薄れつつある中で、遠藤(旧姓)ヨリさん(85)は峯作さんについて、「府中の企業で働き召集され部隊に配属された。戦死の連絡があったが遺骨はなく木片が届いた」と証言。墓碑は後年、峯作さんの父親が建立したという。

 語り継ぐ会は「レイテ島に上陸した米軍に追い詰められた最期だったと推測できる。部隊の一兵士の出兵後の軌跡が調査で判明したのは初めて」と話す。

 大泉代表らの調査ではこれまでに、宮前区を中心に約9平方キロの基地があったことが判明。陸軍軍用地境界標約60本を確認し、関係者の証言も加え宮前、高津区、横浜市青葉区にわたる用地をほぼ特定した。少なくとも2万人以上の兵士を送り出したとみられ、同会は今回の墓碑発見で部隊の解明に弾みをつけたい考えだ。会の問い合わせは、山本太三雄さん電話090(8775)1879。

 
 

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