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語り継ぐ関東大震災
未曽有に学ぶ〈57〉100年に向けて ◆災害史を編み直す

社会 | 神奈川新聞 | 2016年9月3日(土) 12:01

横浜の惨状を示す写真を示しながら建築物の変遷について語る青木さん=8月26日、神奈川大横浜キャンパス
横浜の惨状を示す写真を示しながら建築物の変遷について語る青木さん=8月26日、神奈川大横浜キャンパス

 「今では使われなくなったれんがの建物は明治に入り、各地に普及しつつあった。しかし、ヨーロッパと状況が違う日本では、地震に対して非常に弱いということも分かってきていた」

 8月26日夕、神奈川大横浜キャンパス。市民グループ「防災塾・だるま」の例会で講演した横浜都市発展記念館主任調査研究員の青木祐介(43)が語ったのは、関東大震災発生前夜の建築分野における時代背景だった。

 1880(明治13)年の横浜地震は大規模ではなかったものの、れんが造りの煙突が折れるなどの被害が相次ぎ、欧米の近代文化を広めるために来日していた外国人を中心とした日本地震学会の創設につながった。7千人以上が犠牲になり、日本の地震防災の出発点になったとされる1891(明治24)年の濃尾地震は、マグニチュード(M)8・0と現在においても直下型地震としては国内最大。「当時、最先端だったれんが造りの建物が次々と被害を受け、地元の人たちに非常に大きな衝撃を与えたようだ」

 青木は濃尾地震後の論争に言及する。「もはやれんがはいらないという声も上がったが、被害を受けたのは材料や施工の質が悪かったためで、改良の余地はある、という反論も建築家の側からなされた」。れんが壁に鉄を埋め込むといった耐震技術も提案され、一部の建物には取り入れられるようになっていた。

 そして迎えた1923(大正12)年9月1日。横浜の市街地は灰燼(かいじん)に帰したものの、横浜市役所や横浜停車場、横浜正金銀行などは激震に耐え、倒壊を免れた。鉄材による補強を施していたからだ。

 しかし、残った建物も、289カ所から発火し、市街地を焼き尽くした大火に襲われる。耐火性の低い屋根などから燃え移り、内部が焼失。それでも正金銀行では、地下室に逃げ込んだ300人余りが命拾いした。青木は言う。「鉄の補強は地震に対して効果を発揮した。決して無駄ではなかったはずだ」。その後、耐火性と耐震性を兼ね備えた鉄筋コンクリート造が主流になっていく。

機 運


 壊滅にあらがう屹立(きつりつ)。焦土の中の希望。そうしたものに光を当てた青木の研究は、3年前に迎えた震災90年の節目に深化した。東日本大震災が起きたことで全国的に歴史災害への関心が高まり、資料の寄贈や発掘、再検討が進んだ。勤めている横浜都市発展記念館も震災の企画展を開催し、大勢が来場した。


関東大震災で焦土と化した横浜の街並み。それでも倒壊を免れた建物が点在する
関東大震災で焦土と化した横浜の街並み。それでも倒壊を免れた建物が点在する


 「高まったそのときの熱を一過性のもので終わらせてはならず、引き継いでいかなければ」

 青木たちと意見交換を重ね、連携企画を主導した横浜開港資料館調査研究員の吉田律人(36)はそのときの経験を踏まえ、こう強調する。「震災100年に向け、やり直さなければならないことがある」

 それは「首都圏の災害史をきちんと見つめ直す」ということだ。前後の災害を含む一連の流れの中で関東大震災を捉え、未曽有の災禍を生き抜いた人々が、暮らしを、地域を、社会を、どう立て直していったのかを探る、という試みだ。

 吉田の調査によれば、2011年以降、神奈川や東京を中心に計40以上の資料館や図書館、文書館で災害史の展示が行われた。その大半が13年に行われた関東大震災90年関連で、過去に例のない広がりをみせた。

 しかし、その経験を生かそうと14年に開催したシンポジウムでは、関わった学芸員や研究者から口々に危機感が語られた。

 「3・11があったから、危険性を認識した上で備えるという機運になり、展示を企画しやすくなったが、それまでは負の歴史とも言える災害史は中心に据えにくかった」「災害に関する情報が十分に提供されてこなかったため、住民の間に記憶が継承されていない」

 シンポを呼び掛けた吉田は言う。「歴史学の華は政治史と経済史。災害史はこれまで中心的な研究対象ではなかった」

転 換



 今こそ、その流れを変えるときだ。そう考えた吉田たちの思いは、きょう3日に都内で産声を上げる「首都圏災害史研究会」に結実する。関東大震災とその前後にあった大規模水害を再検証し、震災100年を見据えて成果を発表していくことを目指す。

 代表に就く神田外語大教授土田宏成(46)は取り組みの必要性をこう語る。「一つ一つの災害を見つめていくことはとても大切だが、災害は起きるたびに教訓があり、それが次の災害に生かされていく。その意味で災害同士には結び付きがある」

 これまでの歴史学において主流だった政治や経済、あるいは社会に対し、「災害が大きなインパクトを与えてきたのは間違いない」と、災害の面から歴史を照らし直すことの意義を訴える。

 吉田とともに研究会の幹事を務める横浜都市発展記念館調査研究員の西村健(37)が言葉を継ぐ。「大規模災害は地域の枠を超える。各地でどんな被害があったのかは、地元の学芸員が熟知しているかもしれないが、そうした知見や知識が分断されていては、全体像を見渡せない。パズルを組み合わせるようにして、複合的に見ていくことが欠かせない」

 地震研究者を中心に過去の災害を掘り起こす研究会も既にあるが、それはどちらかといえば、どんな地震が過去にあり、被害がどの程度だったのか、津波の高さがどれほどだったのか、という災害履歴の解明に比重が置かれている。

 それに対し、「われわれは人の動きや社会の変化、仕組みなどに注目し、地震に限らず、水害を含めた歴史を見ていく。研究会の名称は『災害史』だが、『防災史』のような視点も持ち合わせたい」と吉田。成果を示す一つの目途である震災100年まであと7年。時間は決して多くない。〈敬称略〉

 
 

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