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軍学共同考
時代の正体〈442〉「ひも付き」の戦争協力 思想史研究者 片山杜秀さん

社会 | 神奈川新聞 | 2017年2月10日(金) 11:43

片山杜秀氏
片山杜秀氏

 「軍学共同」を、既に日本は経験している。先の大戦で、学者は自らの研究成果を軍部に差し出し、学塾は若者を戦場に送り出した。横浜市港北区の慶応大で1月に開催されたシンポジウム「慶応で軍学共同問題を考える・ペンは剣より強いのか」の詳報2回目。同大法学部の片山杜秀教授は、理系にも増して戦争協力に走った「文系の罪」を挙げ、歴史に学ぶ意義を説いた。

官民挙げ「奉仕」


 軍学共同は「いつか来た道」ともいわれるが、過去の状況は具体的にどんなものだったのか。第2次大戦期の日本で、理系だけでなく文系の学問も国家、戦争に動員された事実を、資料に基づき振り返りたい。

 まず、1926年に陸軍主計総監の監修で出された「国家総動員の意義」を挙げる。この8年前に終結した第1次大戦は、現在議論になっている軍、学問、産業の連携が強く意識された戦争だ。

 この本が模範に挙げたのは米国だった。同国の「国防会議」は次のことを掲げた。

 広く科学を技術界に応用し国防及び国利民福の増進に資すること。

 国内、国外科学者の連繋(けい)を確実にし研究の重複を避け其(その)統一を計ること。

 科学研究者を指導し直接現戦争に関係ある科学的諸問題の研究に全力を傾注せしむること。

 こうした任務を戦時、平時を問わず定め、教育界、特に医学部や理工学部など理系の動員をも視野に入れた。もちろん兵器の開発、生産などの技術者育成のためだ。

 慶応の理工学部も、そのルーツは軍学共同に行き着く。前身は39年に設立された藤原工業大(44年に慶大に)。実業家で、米内光政、東条英機、小磯国昭の各内閣で閣僚を務めた政治家でもあった藤原銀次郎が、私財を投じて創設した。

 39年といえば、2年前に始まった日中戦争が泥沼化し、長期戦に勝ち抜くために国内の生産体制などを統制する「国家総動員」が進みつつあった時期だ。そういう国家的な事業は、どうしても官僚主導になる。

 一方で「民」の私立は、その校風は個人主義や自由主義、在野精神など戦時国家に疎まれるものばかり。藤原は「民」の生き残りを図るとともに、国家に奉仕する在り方を示そうとしたのだった。

「科学動員計画」


 次に挙げるのは、35年に文部省(現・文部科学省)で開かれた「教学刷新評議会」の議事録。その名簿には学者や政治家のほか、軍人の名前も並んでいた。同年に起こった「天皇機関説事件」(憲法学者・美濃部達吉らの憲法学説が国体に反するとした弾圧)を踏まえたものだ。

 「東京帝大で憲法を教えている学者にも国家に仇(あだ)なすような輩(やから)がいる」として、学界の思想的刷新を図る狙いがあった。

 評議会は、軍国主義の日本国家に奉仕する「総動員」を思想面でも推し進めるための理論形成に大きな役割を果たした。

 呼応するように、在野の研究者も学問の総動員の必要性を訴えた。

 41年に出された大熊信行の論考「国家科学への道」は、東大などが重視してきた観念的な学問を批判し、戦時下は国家に奉仕する実学が必要であると説いた。「科学動員計画」の節では、学者の戦争協力こそが、学問を極端な観念の世界から現実に引き戻せる、と主張。戦争協力とともに、既存学界の再編をも目指したのだ。

 同じく在野の学者、寺田弥吉が42年に著した「日本総力戦の研究」にも、戦争遂行のため、文系理系あらゆる分野の学者が動員されねばならないと記されている。「役に立つことを真っ先にやらなければならない」という最近の危機的な風潮にも通じないだろうか。

文系も積極関与



 次は、43年に刊行が始まった全14巻の「日本国家科学大系」を見てみよう。オールスターといえるほどの一流学者の名が監修者、執筆者に挙げられている。分野は史学、文学、哲学、教育学、社会学、政治学、法律学、経済学など広範に及ぶ。ここからも理系だけでないことが分かるだろう。

 文系学生の入隊猶予が撤廃された43年の「学徒出陣」に端的に表れているように、当時、戦争に役立つのは理系だけだとの考えが主流だった。この本は、そうした風潮に対し「文系は必要だ」「国家科学の担い手は文系だ」と言い張るための取り組みだったといえるだろう。

 「文系は必要か不要か」との議論は今も同じで、過去をなぞっている気がする。

 では、文系の学問は具体的に、どのような形で戦争に寄与したのだろうか。



 一つの例として、日本地政学の提唱者として有名な京大教授、小牧実繁と軍とのつながりを説明しよう。

 小牧は39年に総合地理研究会を立ち上げた。その際、費用は陸軍大佐の高嶋辰彦が工面したといわれている。高嶋は、東南アジア進出や対米英戦を控えたこの時期、地政学が戦争に有効であると考えていた。

 最後に紹介するのは、大戦末期の44年、文部相の私的諮問機関がまとめた「文教維新の綱領」だ。

 愛校心や校風を重んじる私学に対し、学校単位の共同体精神は捨てて日本国家に帰一すべし、との主張だった。「財界人の輩出」「都市的洗練」「野党的精神」など、私学が従来掲げてきた看板は「人材養成無計画時代の所産」であり、戦時下にあっては「既に採択助長すべき何等(なんら)の価値も見出せない」。つまり個人主義、自由主義では総力戦は戦えない、ということだ。

 そして、強制力を示唆しつつ、次のように提唱した。

 必要学科を拡充し不要学科を整理・廃合・転換すべき強権の発動が考へられてよい様に思ふ。

 拡充又は転換に当つての国庫助成金・補償金等の交付や進んでは資材の優先配給の如(ごと)き点迄も当然に付随して考慮さるべきは云(い)ふ迄もない。

 助成金などで「ひも付き」にして学者たちに言うことを聞かせる-。現在の大学改革しかり、これが形を変えて現代日本でも遂行されつつあるように思う。

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