相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、逮捕された容疑者(26)が2月に衆院議長公邸に持参していた手紙には「障害者は不幸を作ることしかできません」と記されていた。事件で重傷を負った尾野一矢さん(43)の父剛志さん(72)、母チキ子さん(74)は憤る。「障害者は、かけがえのない存在だ」
「一矢さん元気ですよ」「頑張っていますよ」。剛志さんは、施設で勤務していた当時の容疑者と何度も会い、声を掛けられたことを覚えている。「髪の毛は逮捕された時のような金髪ではなく黒髪。純朴そうで、明るく、熱心。誠実な印象だった」
事件後、職員や家族ら多くの人が好印象を抱いていたことを知る。「みんなだまされていた。悔しい気持ちでいっぱいだ」
ニュースでは、障害者に対し容疑者が抱いていた一方的で偏った考え方ばかりが、伝えられた。
剛志さんは「被害者自身が偏った考え方を否定すべきだ」と考えるようになった。「やまゆり園で職員や入所者、家族が長年積み上げてきたものを、たった一人の男に壊されるわけにはいかない」。悩んだ末、実名で取材に応じることにした。
喜び
一矢さんには生まれつき重い知的障害があった。子育ては大変だった。だが、喜びを感じることの方がはるかに多かったという。
幼いころは頭を洗うことが嫌いで、風呂では泣き、暴れた。だが次第に、剛志さんの膝の上で洗髪ができるようになっていった。「一矢の頑張りを見ていると、うれしくなった」
次には着替え方を教えた。裏返っている服は、表に返し、前後を確かめて着る。剛志さんは「それだけのことを教えることに、時間がかかった」と振り返る。
上着のボタンを留める練習もした。チキ子さんが「ボタンをパチンと、留めて」と言うと、一矢さんは手を動かさず、口で「パチン、パチン」と言った。うれしそうな表情を浮かべる一矢さんを中心に、家族全員で笑い合った。
小学校を卒業するころになると、食事、着替えなど、自分のことを自分でできるようになった。
チキ子さんは言う。「一つのことができると、家族全員で大喜び。でも一つできるから、これもできる、とはなかなかならなかった。一矢が嫌がって泣いても、心を鬼にして自分でやらせるようにした。いつか、自分が年老いて面倒が見られなくなっても、自立して生活してもらうためだった」
一矢さんの写る写真には、常に笑顔の両親が寄り添う。「一矢との日々は宝物。障害者は不幸をつくるなんてことは、絶対にない。一矢が生きていられるなら、自分の命を投げうってもいい。自分の命より大切な存在なんだ」。剛志さんの言葉に、迷いはない。
自立
一矢さんは10代後半になると、力が強くなり、活発になった。夫婦は当時、座間市内でクリーニング店を営んでいた。仕事をしながら日々の世話をするのは大変で、自宅での生活は次第に難しくなってきた。
両親は「家族ではない人から世話を受けられようになるのが、自立への大きな一歩だ」と考えた。21歳になった時、一矢さんはやまゆり園に入った。
やまゆり園は、施設内が八つに区切られている。一つの区切りを「ホーム」と呼び、それぞれに18人ほどが暮らす。一矢さんの「いぶきホーム」には担当職員が13人。交代で24時間世話をしていた。
一矢さんは環境の変化に敏感だった。当初は「家に帰りたい」と繰り返した。だが次第になじみ、穏やかに暮らすようになっていった。
剛志さんは振り返る。「いつ施設を訪れても、職員は熱心に一矢の世話をしていた。両親の前でだけ熱心さを装っているのかと疑い、抜き打ち検査のように突然訪問しても、職員の様子は変わらなかった」。園主催の昼食会では入所者と家族、職員がテーブルを囲んだ。入所者と職員、家族の旅行会も頻繁に開かれた。
一矢さんは、一時帰宅すると「やまゆり園に帰りたい」と口にするようになった。
剛志さんは「自立できるようになってうれしい気持ちがあるが、自分たちから離れていくことに寂しさも感じる」。チキ子さんは言う。「病院では『やまゆり園に帰りたい』と繰り返し口にしている。悲惨な事件があっても、ひどいけがをしても、息子にとってのわが家はやまゆり園です」
事件後、施設を訪れると、悲惨な現場を目の当たりにして心に傷を負ったはずの職員が笑顔で迎えてくれた。体育館などで不自由な暮らしをする入所者のために、休まず働き続けていた。「今度は私たちが職員を支える番だ」と思う。
宝物
事件後、施設が廃止されるのではないかと、心配してきた。
やまゆり園で6日開かれた入所者家族向けの初めての説明会では、現時点で廃園にするつもりはなく、入所者の日常を取り戻すために全力を挙げていることを施設、県側が説明した。
剛志さんは「ほっとした。一矢に『また園で暮らせるよ』と、報告できる」と笑顔を見せる。
入所者たちの親と会話すると、犯行のむごさだけではなく、容疑者が発する言葉のむごさに深く傷ついていた。
仲のよい入所者の家族から、笑顔で声を掛けられた。「『一矢は宝物だ』とテレビのインタビューで答えていたでしょう。私にとって、子どもはダイヤモンド。子どもを思う気持ちは、あなたに負けていないよ」。その家族も、子どもが事件で重傷を負っていた。
剛志さんは、入所者の家族は同じ思いを抱いていると感じている。
「一矢は不幸をつくることなく、私を幸せにしてくれている。障害者はみな、かけがえのない存在なんだ」