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東大名誉教授・樋口陽一さん
時代の正体〈353〉人権否定の自民改憲草案 泰斗の言葉(上)

社会 | 神奈川新聞 | 2016年7月9日(土) 02:00

樋口陽一氏(東大名誉教授)
樋口陽一氏(東大名誉教授)

 参院選は自民党をはじめ憲法改正に賛同する公明、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党、無所属議員の改憲勢力が、改憲の国会発議に必要な3分の2を占めるかが焦点となる。10日の投開票日を前にいま一度、声に耳を傾けたい人がいる。憲法学の泰斗、東大名誉教授の樋口陽一さん(81)。自民党の憲法改正草案に立憲主義や人権尊重の否定の思想をみて、憲法記念日の5月3日に特別紙面のインタビューでは「主権者はわれわれ国民。近代国家を否定するような相手に対しては『なめんなよ』の精神を持つことが必要」と説いた。未掲載部分とともにインタビューを再構成した。

 憲法改正の議論をするには、まず議論の前提を考える必要があります。安倍晋三首相や自民党はどのような憲法改正をしたいのか、理解しなければなりません。そして憲法改正によって日本の形がどのように変えられてしまうのかを明らかにするのが憲法学者としての私に課せられた義務です。

 かねて安倍首相は日本国憲法を「みっともない憲法」と呼んで、憲法とその背後にある、戦後日本そのものを大きく変えようとしています。

 2012年12月に2度目の安倍内閣が成立して以降、憲法をめぐる状況に変化が起こってきました。首相は就任するとまず、憲法改正の手続きを定めた憲法96条を変え、改憲のハードルを下げようとしました。

 96条には、衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成で憲法改正を発議し、国民投票で過半数の賛成を得ることが必要であると定められています。このハードルを易しくしてほしい、ということをまず問題として提起しました。

 この問題提起には大きな反発が起きました。自民党は野党時代の12年3月に憲法改正草案を公にしていました。天下に憲法改正の構想を公表した上で、その手続きのハードルを易しくしようというのは、ゲームが始まってからルールを変えてくれと言うようなことです。反対の声を受けて、96条の改正は棚上げになりました。

 それから首相は方針転換をします。9条の解釈を変え、憲法改正でやりたかったことを閣議決定や安保法制の制定によって行おうとしました。集団的自衛権の行使容認です。

 閣議決定は14年7月1日に行われ、15年の5月15日には、関連する安保法案が提出されました。法案提出前の4月、安倍首相は米国議会で演説し、「夏までに成立させる」と発言しています。主権者である国民の前で議論する前に法の成立を約束してきています。この手続き問題一つをとっても、立憲主義と民主主義へのあからさまな攻撃でした。

 憲法違反という批判にまっとうに答えることのないまま、安保法制がこの年の9月に強行採決され、日本は異常な法状態に突入しました。憲法によって縛られるはずの権力者が憲法に反する立法を行い、憲法をいいように解釈し、無視する政治を続けています。国民主権に対する重大な抵触で、国民が憲法によって権力を縛る立憲主義を踏みにじっています。

普遍的な価値


 首相が目指す憲法改正はどのようなものでしょうか。自民党が公表している憲法改正草案と、その内容を説明した「憲法改正草案Q&A」を見ると全体像が見えてきます。

 近代憲法には、国民が憲法によって権力を縛る立憲主義という考え方が基本にあります。ですが、自民党草案が目指しているのは権力が国民に注文を付ける憲法への転換です。立憲主義が破壊され、国の根幹が壊されようとしています。

 改正草案Q&Aには、改正草案全体のポイントとして「天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直」すと書かれています。天賦人権説というのは、全ての人、一人一人が生まれながらにして権利を持っているという考えです。さらにこうも書かれています。

 「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」

 生まれながらの権利を保障するのは、やめたと言っていることが分かります。

 西欧の考えは日本に合わないと考えているのでしょう。ですが、日本では古くから、お天道様、天があり、勝手なことをしてはいけないという考えがありました。日本にも天賦人権説の思想的な実態がありました。

 だからこそ、福澤諭吉が米国の独立宣言の一節を「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と、当時の日本人の心に深く刻まれる言葉で言い表すことができたのです。天賦人権説は西欧だけの価値ではありません。普遍的な価値なのです。

個人を捨てる


 日本国憲法の前文のキーワードは「人類普遍の原理」です。自民党の改憲草案では、その全文が入れ替えられています。

 13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれています。自民党の改憲草案では「すべて国民は、人として尊重される」と変わっています。個人としての尊重から、人としての尊重というわずか1語の変化ですが、非常に大きな問題をはらんでいます。

 日本国憲法では、共同体の拘束から解放された自由な「個人」が主体です。それを、家族をはじめとした共同体のなかに置かれた「人」という表現に変えることで個人を捨てると、読み解くことができます。近代立憲主義が達成しようとしてきたのが人権の尊重です。個人を社会の価値の源泉とする考えを否定しています。

 自民党が目指す憲法はすでに示されています。白紙から憲法を考えているのではありません。人類社会が普遍的なものを求める歴史のなかで、積み重ねてきた知の遺産を否定している自民党の改憲草案が議論の土台なのです。

 ◆自民党憲法改正草案 自民党が野党だった2012年4月に策定。現行憲法の前文を含む全条文を改正する内容となっている。同党が作成した「憲法改正草案Q&A」によると、主要な改正点は「国旗・国歌の規定」「自衛権の明記」「国防軍の保持」「家族の尊重」「環境保全の責務」「財政の健全性確保」「緊急事態の宣言の新設」「憲法改正提案要件の緩和」などで「時代の要請、新たな課題に対応した」としている。基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」と明記した97条を全文削除している。9条は戦力の不保持を規定した2項を削除し「自衛権の発動を妨げるものではない」と明文化しており、政府与党が「限定容認」と説明している集団的自衛権の行使が全面解禁されることになる。第9章に新設した「緊急事態」では「武力攻撃」「内乱」「自然災害」などの緊急事態時に「内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定できる」としており、ナチスの全権委任法にもなぞらえられる。自民党憲法改正推進本部のホームページ(http://constitution.jimin.jp)からダウンロードできる。

 ひぐち・よういち 東大・東北大名誉教授。立憲デモクラシーの会共同代表。近著に「加藤周一と丸山眞男-日本近代の〈知〉と〈個人〉」(平凡社)、「いま、『憲法改正』をどう考えるか」(岩波書店)。憲法学者の小林節氏との共著で「『憲法改正』の真実」(集英社新書)など。

 
 

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