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憲法考
時代の正体〈343〉危うい緊急事態条項(下) 「自助」任せの国家へ

社会 | 神奈川新聞 | 2016年6月24日(金) 11:35

関東大震災後、甘粕正彦憲兵大尉らに殺された大杉栄ら3人の遺体が遺棄された憲兵隊内の古井戸=1923年
関東大震災後、甘粕正彦憲兵大尉らに殺された大杉栄ら3人の遺体が遺棄された憲兵隊内の古井戸=1923年

 「緊急事態条項」の創設と、家族による「自助・共助」の重視。自民党が掲げる改憲草案に盛り込まれた二つのテーマは、無関係ではない。社会の多様化によって緩んだ“国民国家のタガ”を手っ取り早く引き締めよう、との思想で通底している。

現実の切実さ

 「よほどの足かせを設けておいても、なし崩し的な拡大解釈はあり得るでしょう。そもそもが裁量を許すための規定ですから」

 政治思想史が専門の片山杜秀慶大教授は、緊急事態条項が本来的に含意する「超法規性」を指摘する。幅広い解釈の余地を残すことこそ要諦なのだ。緊急時の対応を法で定める、というより、政府にフリーハンドを与える法と言った方が実態に近い。

 しばしば「口実」にされるのが東日本大震災のような自然災害だ。

 片山教授は、むしろ災害時こそ「行政への丸投げ」ではなく、緻密な議論を積み重ねることが必要だと説く。「個人の権利を最大限に認めつつ、想像力の限りを尽くして具体的な対応策を明文化することです」

 とはいえ、近代社会の土台をなす人権思想さえもが「きれい事」「平和ボケ」と見なされ、説得力を失いつつある現実も、確かにある。大震災や原発事故、あるいは国内外のテロを経た切実さだ。

 災害や戦争と、緊急事態条項の、いずれもがリスクをはらむ。片山教授の念頭には、二つの教訓が去来する。一つは、前回説明したナチスドイツ、いま一つは関東大震災後の日本だ。

 1923年の震災後、治安維持のため国会審議を経ずに発せられた戒厳令と緊急勅令は、いわば明治憲法下の緊急事態条項だった。結果、アナキスト(無政府主義者)の大杉栄ら3人が憲兵大尉の甘粕正彦らによって殺され、多くの社会主義者が投獄、拷問された。「そこにあったのは、既成の秩序を乱そうとする者は国民と見なさず排除してもいい、という国家意識でしょう」と片山教授は指摘する。

 緊急勅令は2年後に治安維持法として法制化され、さらに3年後、またも立法府を飛び越した緊急勅令によって最高刑が死刑に引き上げられて、やがて戦時下最悪の言論弾圧事件といわれる横浜事件に行き着く。雑誌編集者や新聞記者ら60人が同法違反容疑で逮捕され、4人が獄死した。

国民にあらず



 関東大震災後の緊急事態下、にわかに顕在化した、国による国民の峻別(しゅんべつ)。それは時を超えて、現代社会にも当てはまる。フランスやベルギーのテロリストがその国に育った「国民」であったように、価値観はしばしば断絶しつつある。程度の差こそあれ、日本でも同様だ。

 国民統合の「たが」が緩み始めている-。片山教授は、そうみる。

 「日本は近代国民国家の幸せな段階を長いこと享受してきましたが、右肩上がりの成長が終わり、格差も広がり、それを補う福祉も行き詰まりつつある。国民は利益共同体でなくなるわけです」

 薄れる“同胞”の信頼関係。「法は信頼に基づいています。であれば、いずれ法治では対応しきれなくなるでしょう」。結果、超法規的な法、つまり緊急事態条項が「切り札」として求められる。

 そして、このことと密接に関係するのが、同じ自民党改憲草案24条に見られる家族による自助、共助の強調だ。

 〈家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない〉

 緊急事態条項と家族。安倍政権の政策シンクタンクも、政権を支援する「日本会議」が主導して設立した「美しい日本の憲法をつくる国民の会」も、この2点を突破口に改憲を目指す。

 「公共による福祉では面倒を見きれないから、家族のような共同体で各自助け合ってください、という意図が読み取れます」と片山教授は言う。とかく家父長制を基盤とした戦前の国家観への「回帰」と捉える批判も多いが、それ以上に財政難の国家にとって「現実的」な手段なのだ。

 愛国心や国旗国歌の尊重を重視する点にも、同様の意図が透けて見える。「ナショナリズムは、福祉に代わって国民の結びつきを最低限維持するための、安上がりの道具とも言えるでしょう」

大震災の教訓



 最後にいま一度、歴史を振り返ろう。

 「関東大震災後の緊急事態」という構図を、東日本大震災以降の現代日本に重ねて論じた劇作家がいた。長く川崎市に暮らし、2014年に99歳で亡くなった神谷量平さんだ。

 少年時代の震災の記憶が、主宰していた同人誌「第四次 京浜文学」22号(13年6月刊行)に残されている。

 「私は今次大戦、いや敗戦の発芽が大正十二年の関東大震災から始まったことを、はっきりと記憶しています」。朝鮮人や社会主義者は、緊急事態のさなかに「ドサクサ紛れの官製の殺人事件」で命を奪われ、そのまま治安維持法として「緊急事態」が固定化された。

 同法を巡り、歌人の与謝野晶子は本紙の前身、横浜貿易新報に連載していたコラムにつづった。

 「治安維持法の如(ごと)きは国民の実力で易々(いい)として廃棄し得るものです」。同時期に実現した普通選挙制度によって国民は自治意識に目覚め、悪法などは必ずや取り除くだろう-との期待だ。

 そして続けた。「今の司法当局者が之を濫(らん)用しようとは考へられません。この法律に由つて忌むべき警察政治が助長されようとも考へられない事です」(1925年2月22日付)
 楽観的で無警戒だと笑い飛ばすことはできない。この時点で、後に起こるべき言論弾圧や戦争は、多くの人にとってまだ

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