71年前、米軍の爆撃機が墜落し搭乗員が捕らわれていた-。市街地が焦土と化した横浜大空襲の1カ月半ほど前の出来事を、横浜市立横浜商業高校(Y校、同市南区)の生徒たちが6年にわたり調査してきた。目撃証言を集めたり墜落現場を訪ねたりし、これまで光が当たってこなかった身近な戦争の記憶を発掘。「戦争の悲惨さを伝える体験者が減った今、活動で学んだことを多くの人に知ってほしい」。28、29日に開かれる空襲犠牲者を追悼する集いで、初めて研究成果を発表する。
「搭乗員のパラシュートは、そこの松の木に引っ掛かった。恐怖に引きつった顔が忘れられない」
太平洋戦争末期の1945年4月15日、高射砲の直撃を受けた米爆撃機B29が空中分解し、南区南太田2丁目の林に墜落。搭乗員11人のうち、脱出できたのは2人だったという。
一部始終を目撃した金子順一さん(84)=同区=の証言に生徒たちはメモを取りながら耳を傾け、「破片は広範囲に落ちたんですか」「相当上の方で(高射砲が)当たったということですよね」と質問を繰り返した。
調査を続けてきたのは、同校の生徒でつくる「NGO☆GLOCAL-Y(グローカリー)」。顧問の鈴木晶教諭(55)が市の空襲記録を読んで学校近くに落ちた事実を知り、2011年に活動を始めた。
「毎日登校している学校の近くに、米軍機が墜落した事実を忘れてはいけない」と、2年の阿部陽花里さん。メンバーは土日や放課後に学校周辺で聞き込みを重ねて約15人の目撃者を捜し出し、「搭乗員が憲兵に殴られていた」「終戦後、機体が1年近く現場に放置されていた」「破片が農家の風呂場に落下して火事になった」といった証言を集めることができた。
推定8千~1万人が犠牲になったとされる横浜大空襲の惨劇が語り継がれる中、無慈悲な戦争の記憶でありながら埋もれていた出来事。結果発表では、証言や墜落現場の写真などを紹介しながら、(1)墜落の経緯(2)機体と破片の落下場所(3)捕らわれた搭乗員の様子-の3点を明らかにする。
発表会は、かながわ県民センターで開かれる「平和のための戦争展」(28日)と、市開港記念会館で行われる横浜大空襲祈念のつどい(29日)の2回。鈴木教諭は「目撃者が胸の奥にしまっていたことを伝えたい」と話す。