「(避難指示区域の解除の)時期はグレー」。2月下旬、福島県南相馬市の避難指示区域の解除に向けた、国の原子力災害現地対策本部と市による説明会が行われた。同市小高区の「双葉屋旅館」の女将(おかみ)小林友子さん(63)は説明会から戻り、こう口を開いた。
同旅館では1月から、一時宿泊を希望する市外(同県新地町、相馬市を除く)へ避難した住民のみを受け入れている。泊まり込みの帰還準備を支援しているわけだが、夫の岳紀さん(67)は「(4月には)解除しないのではないか」と応じた。

市域の一部は、東京電力福島第1原発事故後、立ち入りが禁止される「警戒区域」や、年間積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある「計画的避難区域」などに指定された。2012年4月の区域再編で、両区域は年間積算線量が異なる三つの避難指示区域に再編された。
年間積算線量が最も高く、原則立ち入りが禁止される「帰還困難区域(年間積算線量50ミリシーベルト超)」を除く、二つの避難指示区域について、同本部は当初、今年4月の解除方針を示したが、新たな解除時期の目標を7月1日とし、5月15日から始まる説明会で住民に対して示すという。
小林さんは「(帰還には)いろいろなことが複合的に関わってくる。帰れるといって、手を挙げて帰ってくる人がどれだけいますか」と原発事故で地元を追われた5年の歳月を振り返る。「(帰還するか、しないか)どちらが正しいとかという問題ではない。そんなに簡単に決められるものじゃないんです」
避難をしていると家屋の劣化は進み、田畑は荒廃する。別の土地での生活を決めた住民もいる。岳紀さんは「放射線量だけで語られるけど、それは違う。違う生活環境に放り込まれて5年間、慣れ親しんで、帰れるからと言われたって、違和感がある。(帰還については)千差万別。帰りたいと思っても帰れない環境になった人もいる」と話す。

避難者の居場所
5年前の3月11日、小林さん夫婦は旅館にいたところを激しい揺れに襲われた。「ギシギシ」と建物がきしむ音が伝わってきた。