
弁護士と料理研究家が対談した「憲法カフェ」。議論は、憲法改正を争点とする夏の参院選から、思い描く未来にまで及んだ。
「言いづらさを変えていきたい」
太田啓子 今年の夏は参院選があります。「選挙に行く」と言うだけで「偉いね」「すごいね」みたいな雰囲気になると、憲法カフェの参加者からよく聞きます。私自身も家の周りでママ友とそういう話をするかというと、まだ控える部分もあります。でも、こういう「言いづらさ」を変えていきたいですね。
枝元なほみ 本当に「とりあえず行こうよ!」と強く言いたい。
太田 普通に話をしたいんですよね。「今日の晩ご飯のおかず、どうしよう」みたいな感覚で。
枝元 最近、一人作戦をよくやっているんです。私、農薬を心配しているんですね。ネオニコチノイドっていう農薬があって、世界中でミツバチが減っている原因がネオニコチノイド系の農薬のせいじゃないかと言われているの。世界各国で次々と規制され始めているのに、日本は規制を緩めている。
枝元 それで私は何をしているかというと、スーパーに並んでいるホウレンソウの大袋を持って店員さんのところに行って「こんにちは。私、この農園のホウレンソウ買っているんですよ。すごくおいしいですよね!でも、残留農薬の基準値が一気に引き揚げられていると聞いて心配なんです。この農園の方にネオニコ系の農薬使っているかどうか聞いてもらえませんか」とあくまでも感じ良く、でも、大きな声で聞くの。心の中では「後ろに並んでいる5人、いまの会話、聞いているな」とか思いながら。ママ友と選挙の話題になったら「子どもがいて選挙に行くの大変だよね。一緒に行く?お互い、交代して子ども見てようか」と言ってみるのもいいかも。
太田 政治にバリバリ関心あります、みたいに見られるのが恥ずかしいんだよね。やる気まんまんの人と見られるのが恥ずかしいなら、言い訳をつくってあげればいいのかな。
枝元 いつも真正面から戦うのは大変だよね。一番大事なのは、自分をどうやって通していって、いろいろな思いの人、意見の違う人とつながっていけるかだと思う。いつも正面切って「おかしいよ!」とやり続けると、息切れして3日で嫌になっちゃうから「えへへ、ご飯食べますか?」とか言いながら、続けていこうと思う。

「女たちが腰を据える」
枝元 いまの日本では、いろんな人に当事者意識がないような気がするの。「自分だけは大丈夫」とか「自分が生きているうちは大丈夫」とか、どこかで考えているのかもしれない。でも、誰もが当事者なんだよね。生きていこうと思ったら税金取られるわけで、嫌でも政治に関わっている。
太田 私たちの中に、怖いことを反射的に直視しないようにする能力があるような気がする。でも、本当は、怖いことを直視することよりも、怖いことを知らないことの方が怖い。知ってこそ守れることがたくさんある。
枝元 ずっと怖い、嫌だって思いながら生きていくのは大変だけど、子どもたちと一緒に元気良く生きていく、明るくつながっていくことで世の中を変えていくことだってできるはず。当事者意識をもう一度、女たちが腰据えて持ちたいと思う。男たちは「理想論」とか言って「論」で語りやすいから当事者意識を持ちにくい気がする。でも、自分事として未来を考えられるのは生活に根ざしているから。新しい形をつくっていける力を女たちは持っていると思うんだよね。
「共に生きていく」
太田 参加者から「夫と意見が合わなくて話が全然かみ合わないことがあるんですが、どうしたらいいか」という質問が出ています。どう考えますか。
枝元 好きな人やパートナーと「同じ意見じゃなくていい」と思えばいいんだと思う。共に生きていくって多様性、多様な人と共に生きていくということだから。意見が違っても共に生きていく道を考えたいよね。その人にも生きていてほしいから、その人を全否定しないで生きていく方法を考えていく。「どっちが正しい」「どっちが正しくない」と投げ合うのではなく「自分はこう思う」と伝えていくしかないんじゃないかな。

太田 憲法12条で「この憲法が国民に保障する自由、権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と書いてあるんですが、やり続けることに意味がある。
枝元 やり続けることは、しんどくないんだよ。息するのと同じ、ご飯食べるのと同じように、政治に関わる、生きていくことに関わる。自分が当事者であると認識することは、自分の人生を生きていくことなんだから、本来は「しんどい」じゃなくて「楽しい」にしていかなくちゃね。