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ヘイトスピーチ考
時代の正体〈311〉付帯決議という意思

社会 | 神奈川新聞 | 2016年5月10日(火) 02:00

桜本の視察を終え記念写真に収まる法務委員会のメンバーら。誰かが「もう法律ができたみたいだ」と言うと笑いが広がった=3月31日、川崎市川崎区
桜本の視察を終え記念写真に収まる法務委員会のメンバーら。誰かが「もう法律ができたみたいだ」と言うと笑いが広がった=3月31日、川崎市川崎区

 特定の人種や民族への差別や排斥をあおるヘイトスピーチの根絶を目指す法案が成立へ向け、ヤマ場を迎えている。自民、公明両党が提出した法案の条文に一部修正を加え、野党の主張を付帯決議に盛り込む形での決着が想定される。

 付帯決議には、定義以外のものであれば差別的言動が許されるとの理解は誤りで、許されない▽人種差別撤廃に関する国際条約の精神に鑑み適切に対処する▽地方自治体も解消に向けて取り組む-との文言が盛り込まれる。

 与党案は、法で保護される対象を「本邦の域外にある国又は地域の出身者である者又は子孫であって適法に居住するもの」に限っており、アイヌ民族や非正規滞在者、難民申請者への差別を許容しかねないと反対する声がある。

 付帯決議はそうした与党案の不備を踏まえたもので、本来なら条文を修正すべき内容だと私も思う。だが、与党がその点を譲らない以上、付帯決議により「定義以外の差別的言動も許されない」と示すことを着地点とすべきと考える。与党が多数を占める現状、野党が反対に回ったところで付帯決議なしの法律ができるだけで、まずは付帯決議で国会の意思を示すことに意義を見いだしたい。

 それは在日コリアンの街として知られ、ヘイトスピーチにさらされている川崎市川崎区桜本の人たちの思いでもある。

祈り


 大型連休終盤の7日、JR川崎駅前に在日3世、崔(チェ)江以子(カンイジャ)さん(42)の姿があった。民進党の山尾志桜里政調会長の街頭演説が始まろうとしていた。

 思いを一息に伝えた。

 「与党案は確かに不十分。それでもないよりまし、というのでは決してなく、私たちはあることを尊びたい。法案に付帯決議が盛り込まれ、法で守られる対象者が広がり、自治体の責務が明記されて初めて自治体に対し、国は宣言しましたよ、一緒に根絶に向けてできることを探しましょう、というメッセージを送ることができる。いままでは根拠となる法律がないからヘイトスピーチに対処できません、と言われてきた。不十分だけれど、まず一歩を踏み出すために、全会一致で付帯決議をつけ、自治体が自信を持ってヘイトスピーチ根絶へ、差別の根絶へ歩めるように力を貸してください」

 山尾氏は答えた。

 「50点の法案でも賛成し、一歩でも前へ進めるのか、100点でないことで反対の意思を示すのか。野党には常に葛藤がある。でも、人権の問題に100点はない。次への一歩になると皆さんがおっしゃるなら、いい結果を出せるよう頑張ります」

 崔さんは続けた。「子どもたちを守りたいんです」

 山尾氏が尋ねる。「子どもはいくつ?」

 「中学2年生と小学4年生です。もう少しで法律ができるねと毎日、一生懸命、新聞を読んでいる。子どもたちは大人を信じてると言ってくれている。大人がちゃんとしたルールをつくって守ってくれるって」

 山尾氏は約束した。「声を上げたら政治は動くという思いを子どもたちに持ってもらいたいから、頑張ります」
 
 わずか数分のやりとり。別れ際、崔さんが手渡した手紙には切実な思いがつづられていた。

 〈川崎市では2013年から12回に渡りヘイトデモが行われています。当時小学校2年生の子どもと一緒にバスに乗っていた時に偶然遭遇してしまった時には心が凍る思いがし、(中略)「朝鮮人は朝鮮に帰れ。朝鮮人を殺せ」という言葉が、ぎゅっと手をつないでいるあなたのオモニ(おかあさん)に向けられているのよ、あなたのオモニは「死ね、殺せ」と言われる対象者なのよ、と到底説明できるわけもなく、ただただ早く離れたい一心でした〉

 〈多くの警察に守られながら「朝鮮人が一人残らず出ていくまでじわじわと真綿で首を絞めてやる」と発言した人が先導するデモが川崎区の臨海部に向かって進み、桜本の入り口まで向かってきました。「お願いです。桜本を守ってください。僕は大人を信じています」と泣き叫ぶ私の中学生の子どもの姿に触れたときに、抗議する市民が警察に排除される姿に触れたときに、その状況をへらへらと笑ってみているヘイトデモの参加者たち、あの場面に触れたときに私の心は殺されました〉

 〈私たちは「助けてほしい」と被害を行政に訴えましたが、残念ながら川崎市からの返答は「根拠となる法律がないから具体的な対策を講ずることができない」とのことでした。私の中学生のこどもは、ヘイトスピーチをする大人に傷つけられ、そして助けてくれない大人に再び傷つけられたのです。公然と繰り返される「朝鮮人は死ね。殺せ」というヘイトスピーチから守ってもらえない。山尾さん、法律を作ってもらい命の危険から守ってもらうしかない生活を想像できますか。(中略)このままでは、身も心もいつか本当に殺される〉
 崔さんは祈るように信じる。

 〈川崎市長さんへ「助けてください」と涙を流しながら訴えた私の子どもが「法律がないから」と救われずに傷ついた心がやっと癒されます。13歳の子どもが大人を信じたことを悔やまないで済む社会が実現します。母親が殺されるかもしれないと、不安で過ごす地獄のような生活に終止符を打つことができます。胸がいっぱいです。希望への歩みを進める道が法案と付帯決議によって今整えられようとしている。これからこそが大切な一歩となるのです。ヘイトスピーチ根絶の道しるべとなる法案、付帯決議が全会一致で決まるその時を安寧に、共にありたいと思います〉

覚悟


 崔さんはもちろん、在日だけが守られればよいと考えているわけではない。桜本という街は在日だけでなくフィリピン人や日系人や中国人などさまざまなルーツの人たちが暮らしている。崔さんこそは、誰もが力いっぱい生きられるよう、社会福祉法人の職員として差別をなくす取り組みに20年間、この街で尽力してきた。

 付帯決議は法的拘束力がないことをもって、意味をなさないとみる向きもある。しかし、全会一致で示されたそれは国会の意思だ。つまり国民の意思だ。桜本の意思でもある。

 参院法務委員会の審議では崔さんが参考人に呼ばれ、意見陳述に立った。向けられるまなざしに思いが届いたと感じられた。桜本への議員団の視察が実現した。崔さんが案内役の一人となった。誰もが違いを豊かさとして共生する街を与野党議員と肩を並べて歩き、記念写真に収まった。誰かが言った。「法律ができたみたいだ」。笑いが広がったとき、崔さんは国会議員が差別をなくす側に一緒に立ってくれていると確信した。絶望で塗り固められたこの街の景色が、希望で上書きされていくのを感じた。

 そうして審議を重ね、盛り込まれる付帯決議つきの法律だからこそ、あることを尊び、次なる一歩を丁寧に進んでいける-。痛切で、ゴールは法ができることではなく、差別の根絶なのだという崔さんの覚悟をそこに思いながら、私は採決のときを見守る。

 成立したあかつきには、次なる一歩として法の改正を求め、さらにヘイトスピーチだけでなく差別全般を禁止する法律を求め、そして国民の合意として川崎市に対策条例の制定を求めていくことになる。

 ◆与党のヘイトスピーチ解消法案 差別的言動は許されないことを宣言し、不当な差別的言動の解消に向けた取り組みを推進することを目的とする。ヘイトスピーチの定義を「日本以外の国、地域の出身者やその子孫で、適法に日本に居住している人に対し、差別的言動を助長または誘発する目的で公然と生命、身体、自由、名誉、または財産に危害を加える内容を伝え、地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」としている。野党は、定義が狭く、「アイヌ民族や難民申請者、不法滞在者への差別が許される可能性がある」と指摘。与党は対象に「著しく侮辱する」言動を追加する以外の条文修正に応じず、一方で「『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りだ」などとする付帯決議で野党の主張を盛り込むことで合意している。

 
 

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