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時代の正体〈433〉なぜ弟は死ななくてはならなかったのか やまゆり園で弟が事故死した姉の問い

社会 | 神奈川新聞 | 2017年1月26日(木) 11:30

弟の正光さんと過ごした年月を振り返る星野泰子さん
弟の正光さんと過ごした年月を振り返る星野泰子さん

 もちろん他人ではないけれど、親子のように無償の愛情を注ぐ関係とも違う。「障害者にとって、きょうだいは一番身近なボランティア」と星野泰子さん(76)=横浜市鶴見区=は表現する。知的障害がある弟の正光さんは津久井やまゆり園(相模原市)に入所していた9年前、施設内の事故で死亡した。59歳だった。「安心できるはずの施設でなぜ、突然命を落とさなくてはならなかったのか」。19人が犠牲になった昨夏の殺傷事件を、障害者の親とは異なる目線で見つめ、問い掛けている。

 泰子さんと正光さんは8歳離れた姉弟。幼い頃からかわいくてたまらなかった。「6人きょうだいで、それぞれの距離感があったけれど、私は一番仲がよかった」

 手をつないで小学校まで送るのが日課だった。鶴見川沿いを、タンポポを摘みながら歩いた。春の風が気持ちよかった。

 1940~50年代の当時は、まだ地域で障害者が生活する環境が整っていなかったこともあり、「同じ立場の人がいる施設に入った方が発達にいい」と言われていた。正光さんは小学3年のとき障害児向け支援施設に入所。60年代の終わりごろ、津久井やまゆり園に移った。

 兄らと共に正光さんを連れ、毎年のように旅行に出掛けた。日光で華厳の滝を見物したり、好きだった映画「男はつらいよ」の舞台・柴又の町並みを歩いたり。弟との恒例行事は結婚して子どもが生まれてからも続けた。両親は早くに亡くなったため、きょうだいが親代わりだった。

自責

 
 正光さんは2007年5月、園での夕食中に亡くなった。介助職員の目が離れたとき、食堂で倒れた。鶏肉を喉に詰まらせたことによる窒息死だった。

 泰子さんが最後に会ったのは事故の10日ほど前。園の運動会で言葉を交わした。元職員5~6人の名前を挙げ「(彼らが園から)いなくなって俺はさみしい」と漏らしていた。05年に園の運営が指定管理者制度に移行。長年勤務していた県職員が次々と去り、現場の顔ぶれが頻繁に入れ替わる時期だった。

 園の生活で何を感じていたのか深く聞けないままだったことが、今も悔やまれる。「自分の希望で入所したわけでもないし、園の環境について言いたいことがあったかもしれない。弟の人生、気の毒だったのではないかと考えてしまう」

 なぜ弟が死ななくてはならなかったのか-。後悔や自責の念に駆られ、県と園に向き合って課題や再発防止策を探った。

 「県営時代と比べて運営費が削減され、食事の質や食堂の環境に響いたのではないか」「職員の待遇が悪化したことにより、人手不足で介護の質が落ちてしまったのかもしれない」…。運営形態に疑問を呈し、県に調査や対策を求める要望書も提出した。もう二度と、弟のように命を落とす入所者が出ないでほしい。その一心だった。

断絶


 昨年7月26日。その願いは、入所者ら46人が殺傷されるという最悪の形で裏切られた。

 弟亡き後も「津久井やまゆり園兄弟姉妹の会」の会員として園に通い、入所者との交流を続けていた。しかし、事件後に園への連絡を試みると、返ってきたのは「(対応や情報提供を)幹部から止められている」との言葉だけだった。

 親しくしている入所者たちの安否が分からない。19人を追悼する園主催の「お別れ会」への出席さえも、「現在の入所者親族ではないから」と断られた。

 「地域住民や元職員もみんなシャットアウトされ、一人の人間として犠牲者を悼むことすら許されなかった」

 12月末、県警により負傷した入所者ら27人のうち2人の実名が公表されたものの、犠牲者の氏名はいまだ明かされていない。「事件後の園はまるでブラックボックス」。これまで自宅に届いていた園での会合やイベントの開催案内も、事件を境に途絶えてしまった。

同調


 「家族会は、県や園に同調する傾向がある」。県が示した施設建て替え方針への賛否をはじめ、入所者の親を中心とした家族会の立場はこう映る。一方で、そうした親たちの気持ちも痛いほど理解できる。

 
 

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