
電動車いすサッカーで、女性として初のワールドカップ(W杯)日本代表に肉薄しているプレーヤーがいる。横浜市瀬谷区に住む会社員永岡真理さん(26)は、自立で座位をとることのできない脊髄性筋萎縮症(SMA)による重い障害を押して、今年7月に米フロリダで行われるW杯出場を目指している。
全国大会ではほぼ毎回、開始前に黙祷(もくとう)の時間がある。
「その年に亡くなった仲間に哀悼の意を示すんです。(運動機能が低下していく)筋ジストロフィーの人なんかが、多いですね」
事もなげに言う。同競技は基本的に、自立歩行ができない重度障害の人がプレーする。永岡さん自身、身体の大半が不随で、競技者の中でもより重いクラスに属している。
振り返れば、自らの命も「2歳まで持てば」と言われたものだった。
3人きょうだいの末っ子として生まれた。母の喜代美(58)さんは、まな娘の異変にすぐに気づいた。「何か体がだらっとしているし、上の子たちと全然違うなと」。病院の検査は、いずれも異常なし。そんなはずはないと、手当たり次第に医療機関を当たった。
難病と分かったのは1歳を過ぎてからだった。「10万人に1人とか進行性とか、いろいろ言われたけど、結局当時は医師もほとんど分からない。そして2歳まで持つかと言われた。なら病院ではなく、家で過ごしてその時を迎えた方がいいかなと」。覚悟であり、諦めでもあった。
2歳を過ぎ、3歳を過ぎた。幼稚園に通うことになった。特に呼吸器系の障害が重く、何度も重症化し、死線をさまよった。
卒園が見えてきたある日、近所の小学校の校長に聞かれた。「それで真理ちゃんはどうしますか。できれば、うちに来てくれたらと思うのですが」
母ははっとした。「本当に小学校なんて全く考えていなかったんで」。それほど一日一日を生きていた。