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【記者の視点】報道部・草山歩
時代の正体〈297〉「当事者」である意味

社会 | 神奈川新聞 | 2016年4月23日(土) 11:21

「いないもんみたいに扱うなーっ」と叫んだゲンガさん
「いないもんみたいに扱うなーっ」と叫んだゲンガさん

 記者になる前からずっと、報道機関の決まり文句として使われる「声なき声に寄り添う」という慣用表現が苦手だった。

 必死で叫んでいる人たちがいる。周囲の喧噪(けんそう)が大きすぎることで、結果としてこちらに届く叫びはかすれている。だからといって、聞き入れる側の視点で叫びを「声なき声」と記すのは、傲慢(ごうまん)で残酷ではないか、と。

 声を「なきもの」にしているのは誰なのか。匿名ブログ記事「保育園落ちた日本死ね」や、それを発端とした一連のムーブメントを追いかけながら、あらためて思う。

◇ ◇ ◇


 取材を進める中で、現場を威圧的な態度で歩き回る年配の男性に遭遇したことがある。

 彼は参加者や女性記者一人一人に子どもの有無を聞いて回っては、「あなたはお子さんがいらっしゃるのね、ならよく分かるでしょう」「へぇ、あなたは独身なんだあ。でもまだ若いから、ねえ」などと、何かを悟ったかようにコメントして回っていた。

 彼だけではない。

 スタンディングの現場で「アベ(安倍晋三首相)は子どもがいないから、子育てのことは分かんねーんだよ」と悪態をつく通行人もいた。政権へのいら立ちは分かるが、それもまたこじつけだ。

 「当事者性」も「匿名性」も、問題の本質を語るにおいて、一体どれだけ大切なのか。

 国会で湧き上がった「誰が書いたんだよ」などというヤジ、安倍首相の「匿名である以上、本当か分からない」発言、テレビに出演した平沢勝栄議員(自民党)の「本当に女性が書いたんですかね」という態度。

 当事者でなければ切り捨てるのか。当事者なら対応が変わるのか。

 3月4日のスタンディング前に、告知をリツイート(拡散)するとともに「参加資格は、かつて子どもだったことがある人です」とツイッター投稿したユーザーもいた。

 誰にとっても人ごとではないし、反対に、自らが当事者であるからといって抱え込む必要もない。

◇ ◇ ◇


 仮に「当事者であること」というステータスに重きが置かれているならば、それは非常に危険なことだと思う。

 当事者の絶対数が少ない社会的マイノリティーは、確実に制度の谷間からはい上がる機会を失い、やがて淘汰(とうた)される。

 ハッシュタグ「#保育園落ちたの私だ」の爆発的な広まりに合わせ、ツイッターでは「#特養(特別養護老人ホーム)落ちたの私だ」「#学童落ちたの私だ」といった派生ハッシュタグも誕生した。

 「友人や職場の同僚が子どもを保育園に入れられず困っている。彼女たちの代わりとして国会前に来た」という東京都杉並区の福祉相談員の女性(41)は「保育園だけでなく、高齢者介護の現場とも通じる部分があると思う」と話した。

 女性の勤務先には、「特養に入所する順番を何年も待っているのに入れない」「仕事を辞めて親と同居して介護をするしかない」といった相談が数多く寄せられる。

 女性は言う。「介護殺人のニュースをテレビで見ても、容疑者の供述に『うーん、そうだよね、精神的に苦しいよね』って同情してしまう自分がいる」


動きはツイッターなどで一気に広まった。スタンディング発起人のはるみさんも、スマートフォンを握りしめていた=3月4日、国会正門前
動きはツイッターなどで一気に広まった。スタンディング発起人のはるみさんも、スマートフォンを握りしめていた=3月4日、国会正門前

 現場には来ていなかったが、千葉市で障害者向け訪問介護事業所を経営し自身も電動車いすで暮らす、記者の友人男性(29)は、第1弾の連載「保育園落ちたの私だ」の初回(3月22日付)を電子版で読み、県外ながらもメールをくれた。

 〈「いないものみたいに扱うな」と言いたくなる感覚はすごくわかるなぁ〉
 引っ込み思案な彼だが、数年前、バリアフリーをうたう施設への入場を拒否されたとき、抗議の意味を込めて施設運営者に意見書を送ったという。

 〈同じように嫌な思いをした人やあとの人のために…と考えていたところもあるんだけど、でも、納得できないと思う人がいるんだという存在を伝えたかったからだと思う〉
 〈存在を示さないからといって「いないもの」とされる社会は怖いけれど、実際のところ、困難な状況にあるのにいないことにされている場合は多いよね〉

◇ ◇ ◇


 取材対象は、マスコミのネタ袋ではない。傷付きやすい心を持った生身の人間だ。

 主催者がきちんと「サイレントスタンディング(紙を掲げ、黙って立つ)」の趣旨を表明しているにもかかわらず、「せっかくなので皆さんで、怒りの声をコールしてみてください。『頑張るぞ、オー』って拳を突き上げる感じで」などとしつこく要求する中年女性記者もいた。基本的に他社の取材マナーについて口を出さない私だが、思わず「今日はそういうんじゃないから」と声を上げずにはいられなかった。

 顔を公衆の眼前にさらし存在を示すことに、どれだけの勇気が要るだろうか。一体、それ以上の何を求めるのか。

 
 

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