川崎・桜本の視察を終え、報道陣の質問に答える議員が繰り返し口にしたのは「生活の場」というキーワードだった。参院法務委員会の委員長、公明党の魚住裕一郎は言った。
「ここは生活の現場。子どもも高齢者もいて、商売もしている。多文化共生に取り組む中でのヘイトスピーチにあらためて心を痛めた」
民進党など野党が提出した人種差別全般を禁じる法案に対し、自民、公明の両与党はヘイトスピーチに特化した抑止法案の検討を始めていた。自民党の西田昌司は、やはりヘイトデモの醜悪さを暮らしの視点から論じ、自公案の方向性を示した。
「地域の中でみんなが共生していこうとしているところへ全く関係ない人間が来て、地域をずたずたにするという暴力的行為。これをどう止めるか。表現の自由との兼ね合いはあるが、根絶されないと意味がない。教育や啓蒙(けいもう)をうまく組み合わせ、法案を作っていきたい」
民進の有田芳生は「現場を見ることが出発点。ヘイトスピーチはなくさなければならないという点では、すべての与野党が一致している」と議論を前に進める意欲を示した。
生活者の一人として案内役を務めた崔(チェ)江以子(カンイジャ)(42)は、その言葉を少し離れたところからじっと聞いていた。
胸躍る時間
崔にとっては胸躍る時間だった。「私たちの誇り高き、共生の街へようこそという気持ちだった」
3月22日、意見陳述に立った崔は「差別の問題に中立、放置はあり得ない。国がヘイトスピーチをなくす側に立ち、差別は違法と宣言し、そのための法律をすぐに成立させてほしい」と呼び掛けた。9日後、その国会から桜本へやって来た議員と肩を並べて歩いている。
入り口にコリアン料理の食材店が並ぶ桜本商店街。ここでは毎秋恒例の「日本のまつり」で朝鮮半島の民族芸能、プンムルノリのパレードが披露される。小学生から大人までがチャンゴをたたき、貸し出されたチマ・チョゴリ、パジ・チョゴリを着た老若男女が続く。30年以上続く祭りのハイライトで、いまでは参加者の多くは日本人だ。
視察後、地域住民との懇談会で崔の長男、市立桜本中学1年の長男(13)が前夜に一人で書き上げた原稿を読み上げた。
「僕のオモニ(お母さん)はみんなが幸せに生きるため、日本人も外国人も関係なく、困っている人のため、いつも一生懸命に仕事をしています」
母の背中を通してこの街を見ていた。ルーツの違いや障害のあるなしにかかわらず「誰もが力いっぱい生きられるために」という理念の下、子どもから高齢者、障害者の支援と福祉を担う社会福祉法人青丘社の職員である母の姿は、共に生きる街の歩みに重なる。
「そんなオモニが朝鮮人だからという理由だけで『死ね』『出ていけ』と言われています。桜本のみんなが、オモニがいなくなったら困ります。僕たち家族も困ります。法律を作って助けてください」
国会議員を前に語る息子の姿に傍らの崔は、その心を育んだ周囲の大人、学校の先生、友達の存在を思い、この街がまた誇らしく感じられた。
長男は続けた。「僕たちはルールがなくても人を傷付けたり、差別をしません。それは人間として当たり前だからです。僕の日本人、フィリピン人、ベトナム人、ブラジル人、在日の友人たちもみんな嫌な思いをしています。助けてください」
「晴れ舞台」
最初にヘイトデモが桜本に迫ってから間もなく5カ月。崔は差別と抗(あらが)うことをポジティブに表現しようと思い定めてきた。「差別はいけないと訴えることに、やましいことなど何もないから」。本名を名乗り、受けた心の傷をさらし、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けながら、一方で共感を寄せる署名が次々と届く。「だから、ここは私たちの晴れ舞台」。この街で重ねられてきた日々の正しさを再確認しながら、歩を進めてきた。
桜本の街と人々の息づかいに触れた西田は普遍的な答えを導き出してもいた。報道陣に明快に答えた。
「自分のルーツを隠して生きていくのではなく、自分らしくしっかり生きていきたいという言葉には身につまされた。これは在日だけでなく、あらゆる日本人、あらゆる人間が持つ共通の意識。人間としての尊厳に関わる部分を傷つける行為を放置するのは、われわれの社会ではあり得ない」
2時間半余の視察を終えた議員団と記念写真に収まり、崔は実感を込めた。
「差別をなくす側に肩を並べてもらえた。国会と桜本の距離、マインドがぐっと縮まったと感じられた」
崔は5日、再び国会へ向かう。法案審議を傍聴するために。思いは届くのかと不安のうちに向かった前回3月22日とは気持ちが違う。
「参政権のない私たちにとって国会は最も縁遠いところだったけれど、いまはその道筋がはっきりと見えているから」
それは希望への道だ。
=敬称略