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「東日本」の先に
未曽有に学ぶ〈54〉津波の教訓 ◆旭市こそ

社会 | 神奈川新聞 | 2016年3月25日(金) 11:30

旭市沿岸に押し寄せる第3波。多数の漁船を転覆させ、まちを襲った(NPO法人光と風提供)
旭市沿岸に押し寄せる第3波。多数の漁船を転覆させ、まちを襲った(NPO法人光と風提供)

 押し寄せてきたのは、高さ10メートルを超えるような巨大津波ではない。避難するための時間的な余裕も十分にあった。それでも13人の命が奪われ、2人が行方不明となった現実をどう受け止め、語り継ぐのか。東日本大震災で首都圏最悪の津波被災地となった千葉県旭市。私が通い続けるのは、目を凝らすべき教訓がそこにあるからだ。

 「阪神大震災の激しい揺れで止まった時計はいずれも地震発生時刻の午前5時46分を指している」。東日本大震災5年の節目を控えた2月半ば、東京都葛飾区の郷土と天文の博物館。旭市で防災教育や津波の教訓を伝える活動に取り組んでいる千葉科学大の船倉武夫教授は、そう言って今回の特徴を強調した。「東日本大震災で止まった時計は時間がまちまち。それだけ多くの教訓が残されている」

 旭市の場合、それは午後5時26分だった。浸水した農協支店にあった「忘れじの時計」がその時を刻む。本震が発生した2011年3月11日午後2時46分から2時間40分後。海辺にとどまっていた住民の心の隙を突くかのように、最大波が襲いかかってきた。第3波だった。

当時の心理



 当時の人々の心理や行動は、被災者への聞き取り調査報告集として震災の1年後にまとめられた「語り継ぐ いいおか津波」(光と風キャンペーン実行委員会編)に詳しい。

 〈私は十六歳から漁船に乗っていたので『遠浅の海に津波は来ない』と思い込んで、家に残った。ところがテレビを見ている最中に、アッという間に津波が入って来た。胸まで水が来て、慌てて二階に逃げる際、電気ポットのコードに足が引っかかり、親指を折ってしまった〉 (男性、77歳)

 〈車にとっさに乗ってしまった。そこに津波がドッと襲って来て、車ごとそのまま押し流された。流れて来るガレキにぶつかったり沈みそうになったりした。ドアを少し開けて逃げだそうとしたら、そこから水が入って来て、ずぶ濡(ぬ)れになった。もうダメかと思った〉 (女性、55歳)

 〈『津波は終わった』と、思って自宅に帰って来てしまったのが、失敗だった。もう少し我慢して避難所にいたら、怖い思いをしなくて済んだのに、悔しい気持ちでいっぱいだ〉 (79歳、男性)

 家や車をいともたやすく押し流す津波の災害では、巻き込まれた人から負傷者が出ることは珍しく、必ずといっていいほど死に至るのが大きな特徴だ。しかし、旭市東部の飯岡地区を中心とした海沿いに残る数々の証言は、津波にのまれながらも紙一重で命をつないだ人が多かった事実を浮かび上がらせる。

生き延びた理由



 なぜ、人々は生き延びることができたのか。最大の理由は、押し寄せてきた津波が三陸沿岸を襲ったほどには高くなかったからだろう。

 旭市には検潮所がないため正確な波高は分からないが、房総東端の隣町、銚子市で気象庁が捉えた津波の最大波は2・5メートルだった。一方、東大地震研究所が旭市で行った調査では、陸地を駆け上がった津波の跡は標高7・6メートルの地点で発見され、海底地形の影響で津波が高くなったと分析されている。実際に津波は、海岸に築かれていた高さ4・5メートルの防潮堤を越えていた。

 これらのデータや津波来襲時に撮影された写真、体験談などから波高は銚子より高かったはずだが、少なくとも10メートル級の巨大津波ではなかったとみられる。

被害の大きさ



 被害の大きさを左右する要素としてより重要な浸水深(浸水時の水位)についても、多くの住民の証言が一致する。

 海岸まで約20メートルの住まいが浸水被害を受けた女性(75)は言う。「室内に残っていた津波の痕跡の高さは170センチ。天井には至っていなかった」

 逃げ遅れ、自宅で津波に遭遇した別の女性はかもいに捕まってどうにかしのぎ、水面から顔を出して呼吸をつないだ。祖父宅で津波に流されそうになった小学生は壁につかまって2階へ上がり、難を逃れた。腰まで海水に漬かり諦めかけたとき、偶然傍らにあった松の木によじ登り、九死に一生を得た男性もいる。浸水深は2メートル程度だっただろう。

 いや応なく暮らしの場を奪い去っていった東北の巨大津波との違いはほかにもある。浸水した範囲が海沿いのごく一部に限られていた、という点だ。

 首都圏の学校で唯一、浸水被害に見舞われた旭市立飯岡中学校の旧校舎は海岸から200メートルほど離れた場所に立地。一方、海岸から300メートルの市立飯岡小には津波が及ばず、浸水を免れたために多くの避難者を受け入れた。市全体の浸水面積でみれば、同じ千葉県内で死者1人だった山武市の方がはるかに広い。

 決して巨大ではない津波で限られた範囲が浸水し、にもかかわらず多くの命が失われる。今回の旭市の経験が想起させるのは、未曽有の災禍となった1923年の関東大震災で相模湾の沿岸各地に押し寄せた津波だ。

 神奈川県温泉地学研究所の萬年一剛主任研究員の分析によれば、当時相模湾に押し寄せた津波の高さはおおむね5~7メートル。被害が大きかったとされる鎌倉や逗子では200~600メートル内陸まで浸水していた。「東日本大震災で三陸沿岸に押し寄せたような高い津波ではなかった」という。

 ただ、今回の旭市の津波とは到達時間が大きく異なる。関東大震災の津波は早いところで地震の5分後に押し寄せたとみられる。同じような地震が再び起きれば、避難先から自宅に戻る余裕どころか、そもそも逃げ出す時間さえないかもしれないのである。

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