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失われた家族との時間
被災者はいま(中)原発事故5年

社会 | 神奈川新聞 | 2016年3月10日(木) 02:00

トラック運転手として働く男性=2月18日、福島県南相馬市
トラック運転手として働く男性=2月18日、福島県南相馬市

 トラック運転手の男性(47)が帰宅すると、庭先で次女(9)が縄跳びをしていた。後ろ髪をまとめたポニーテールが揺れる。縄跳びに飽きると、今度は同僚のトラックにひらりと飛び乗り、運転席で遊び始めた。

 2月18日午後4時。男性はいつもこの時間、福島県南相馬市鹿島区の自宅にトラックごと戻る。「復興」の仕事は多く、相馬市内や周辺を走り回っている。

 視線の先、次女は同僚の膝の上で声を上げて笑っている。

 「子どもには、帰ってきてほしくなかったんだよね」

 男性は言った。

 東日本大震災のとき次女は4歳。5年が過ぎ、おてんば盛りの小学校3年生になった。

 軒先では、「除染作業中」ののぼりが揺れていた。

離れ離れに

 
 東京電力福島第1原発の1号機が爆発した4日後、川崎市に避難した。男性のいとこが住んでいた。

 ところが、避難の2週間後、男性は「家族を路頭に迷わせるわけにはいかねえ」と、仕事がある南相馬市の自宅に戻った。

 自宅は原発から32キロ。事故後、「屋内退避」とされた半径30キロ圏からは外れていた。賠償対象とされる30キロ圏からも外れていた。その2キロの差が、離れ離れの暮らしを強いた。


南相馬市内に建つ避難者対象の住宅
南相馬市内に建つ避難者対象の住宅

 平日は午前3時から午後4時までハンドルを握った。金曜日は夕方になってから、家族の住む川崎市へ。自家用車で走る距離は、往復で700キロを超える。日曜日から月曜にかけては二重の意味でつらかった。家族とまた離れ、わずか1時間ほどの仮眠の後、再びトラックに乗り込むからだ。

 3年がたったころ、めまいが止まらなくなった。「強いストレスが原因」と診断された。医師は長期休暇を勧めたが、事故前と全く異なる日常であっても、これを破綻させるわけにはいかなかった。

 当時、男性は既に会社を設立し、従業員6人を雇ってもいた。大型トラックを購入し、1億円近い借金もあった。「後戻りはできねえ」と思いつつ、妻や子どもの前では「大丈夫アピール」を繰り返していた。

 大震災から丸4年が過ぎた昨年3月、川崎市から妻と次女が南相馬市に戻ってきた。男性が重ねてきた無理を、家族は分かっていた。妻は大型自動車免許を取り、会社の切り盛りにも携わり始めた。


南相馬市内では、新道路を建設するための工事現場が数多く存在する
南相馬市内では、新道路を建設するための工事現場が数多く存在する

理想と現実


 
 縄跳びやトラックで遊んだ次女と一緒に、男性は会社事務所に入った。自宅の隣りにある。ソファでお茶を飲んでいると、また次女が寄ってきた。

 南相馬市の鹿島区は、同じ市内でも原町・小高両区と違い、「避難指示区域」ではない。政府が示す年間許容被ばく量は20ミリシーベルト。その値は、事故前の基準「年間1ミリシーベルト」を大きく上回る。

 いったい、この線引きは何か。「絶対に健康被害はねぇ、大丈夫って言い切れんのか」との思いは消えたことがない。だから、事故後は子どもたちを故郷に入らせなかった。妻にも「絶対、戻ってこないでほしい」と伝えていた。


除染完了を示すコーン標識
除染完了を示すコーン標識

 自宅の除染作業は現在も続く。近所には、除染で出た廃棄物の集積所が散在している。「あえてこの場所で子育てしなくてもいいじゃんって、分かってんだ」

 地域の親たちは、小学生の子どもたちを車で送迎する。マスクを付けた子どもが目に付く。被ばくを避けるためだ。「外から来た人が

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