
政権に批判的な発言をしてきたニュースキャスターが相次ぎ降板し、時同じくして国会では、放送行政をつかさどる高市早苗総務相が、政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合に電波を止める可能性に言及した。TBS「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀さんは2月13日の番組冒頭、「こんな脅しのような発言が大臣から出ること自体、時代が悪い方向へ向かっていることの証しではないでしょうか」と問い掛けた。ジャーナリズムに迫る危機、それは戦後70年間にこの国が築き上げてきた民主主義社会の危機にほかならない。
政治権力は常にメディアを宣伝の道具としか思っていない。「政治家たちがそういう人たちの集団であることを、私は嫌というほど見てきた」
この40年間、そして今も放送メディアの真っただ中に生きている。これまでソ連時代のモスクワ、9・11直後の米国にも身を置いてきた。取材のたびに対峙(たいじ)してきた政治権力は、いつも都合の悪いことを遮断しようとし、いかにしてメディアを道具として使おうか、と思案していた。
「今回の高市総務相の発言も、まさに同じ流れの中にある。放送法の精神や成立の過程などまったく理解していないのだろう」
原 点
金平さんの仕事机にはいま「20世紀放送史」(NHK放送文化研究所編)という3分冊の大著が置かれている。そこにはメディアが戦争の片棒をいかに担いだのかが克明に記されている。ひもとけば、驚愕(きょうがく)と憤りの連続だった。
完敗した戦況でも、玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじて潔く死ぬことを意味する「玉砕」といって美化する。広島へ原爆が落とされた時は「若干の被害」と報じるといった具合だ。
激戦地の硫黄島や地上戦となった沖縄へは九州から「激励放送」と銘打ったラジオ放送を流し続けていたという。「知らなかったことも多かった。いまとなっては信じられないようなひどいことが行われていた。大本営の発表に言われるがまま。いかに事実と異なる情報であっても構わない。それが戦前の放送だった」
新聞、雑誌、そして放送としてのラジオはこぞって戦争を賛美し協力し、国家と一体となって言葉を操り、国民を総動員へと誘(いざな)っていった。
過ちを繰り返してはいけない、放送は二度と国策の片棒を担がない、という誓いのもとに戦後の放送は始まった。そして国民の知る権利に資する自立した放送のために「放送法」ができ、そこが戦後ジャーナリズムの出発点だった。

自 壊
それが70年経(た)ったいま、まるで戦前のようではないか-。
2015年6月23日、「沖縄慰霊の日」。戦後70年の節目を迎えた沖縄に金平さんはいた。
組織的戦闘が終結したその日は沖縄の人たちにとって、厳粛のうちに戦死者の魂を弔い、静寂のうちに平和へ思いをはせる日であった。糸満市の平和祈念公園で行われていた沖縄全戦没者追悼式。安倍晋三首相が献花台の前へ歩み進もうとしたとき、怒号が響いた。
〈帰れ! 帰れ!〉
〈何しに来たんだ〉
沖縄県民は14年11月の県知事選挙で辺野古への新基地建設反対の意思を示していた。にもかかわらず断行しようとする安倍首相に対し、厳かな場に不釣り合いと分かっていながらも噴き出し、放たれた悔しさと怒りの叫びだった。
金平さんはホテルに帰りNHKのニュースを見て、言葉を失った。
すべてのやじがきれいにカットされていたのだ。
「現場で僕もやじを聞いていましたから信じられなかった。普通のニュース感覚からすれば、この日に沖縄へ慰霊にやってきた首相がやじられた、というのがニュースだ。安倍首相だってそうなることくらい分かっていてこの地に赴いたはず。それが完全になかったことになっていた」
誰に言われるでもなく消し去る。忖度(そんたく)し、おもねって先回りする。一体いつの時代だ。
事なかれ主義と言ってしまえばそれまでだ。だがいま起きている現実は、もっと深刻かもしれない。
「政治権力がメディアへ介入してきて、やめろと抵抗するような構図ではない。現場にあるのはやっかいを抱え込みたくないという発想、もしくは政治権力を恐れた萎縮。その時点で完全に骨抜きにされている。若手も上の姿勢を見ている。あらゆる現場でそうした動きが蔓延(まんえん)している」
危機はほかならぬジャーナリズムの内部、つまり自壊にあるのか-。

矜 持
いまも胸に刻む言葉がある。
師と仰ぐジャーナリストの筑紫哲也さんが亡くなる8カ月ほど前の08年3月28日。TBSの報道番組「NEWS23」で最後となる「多事争論」で、筑紫さんが番組の基本姿勢について口にした言葉だ。
〈力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかく一つの方向に流されやすいこの国で少数派でいることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと〉
これがジャーナリズムの原点だ、と筑紫さんの遺言として受け止めた。
「権力の監視は、報道の役割として英語で『ウオッチ・ドッグ』と言う。つまり監視犬。権力が暴走しようとするとき、吠(ほ)えて警告し、時にかみつきもする。だが現実はどうだ。吠え方もかみつき方も知らない、おもねって権力にすり寄り、鼻を鳴らして餌まで求めるようなメディアさえ登場している」