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日本丸に命吹き込め 伝説のエンジン復活へ始動

社会 | 神奈川新聞 | 2016年1月11日(月) 02:00

30年前に停止したまま保存されているエンジン
30年前に停止したまま保存されているエンジン

 横浜・みなとみらい21(MM21)地区で保存されている帆船日本丸に搭載された国内初期の船舶用大型ディーゼルエンジンを復活させる計画が動きだす。建造から54年余り稼働した世界記録を持つ“伝説のエンジン”。帆船日本丸記念財団(横浜市西区)は所有者の同市と相談しながら再始動の可能性を探る。2030年に迎える建造100年に向けて保存活用を続けていく機運を高めたい考えだ。


エンジンの復活構想が出ている帆船日本丸
エンジンの復活構想が出ている帆船日本丸

 エンジンは老舗工作機械メーカーの池貝鉄工所(現・池貝、茨城県行方市)が製造した6気筒600馬力。建造された1930年当時に開発されたばかりの無気噴油式を採用した。機関室には2基が建造当時のまま設置されている。

 同船が引退した84年9月に全ての機関を停止。帆だけを推進力とする「平水区域の練習船」として係留することになり、エンジンへの燃料系統を遮断する改造を施した経緯がある。

 第38代船長で航海訓練所前理事長の飯田敏夫さん(65)は船体の点検や修繕作業を行う中で、エンジンがほぼ手つかずのまま残っていることに注目。戦前の技術者が情熱を傾けて製品化し、さまざまな故障も修理して使い続けた心臓部だけに「もう一度復活できないか」と考えた。

 元乗組員にとってもエンジン復活は30年来の夢だった。同船最後の機関長で船内ガイドボランティアの木村正次さん(76)=横浜市南区=は手で触れて耳をそばだてて心臓部を守ってきた。「エンジン音や油のにおいは青春そのもの。4サイクルの『スカスカドンスカ』という大きな音や煙突から上がる煙からエンジンを使って航海していた往時を多くの人に想像してもらいたい」と意気込む。

 同財団は今後、機関士OBをはじめとしたベテラン技術者や専門家によるプロジェクトチームの結成を目指し、エンジンや各機器の点検や分解整備を行うための課題点の洗い出しを行っていく予定だ。

 ただ、課題は山積みだ。燃料や潤滑油を供給するポンプを動かす直流式モーターの電源確保や、配管や機器の整備といった技術的な問題が立ちはだかる。図面などの資料収集、事業費調達など乗り越えるべき壁は高い。また、再始動してもプロペラを回して航行することは法律上できない。しかし、同船を「海の生きた文化財」と位置づける同財団は長く保存を続けていく機運を高めるためにも、再始動を実現させたい考えだ。

 元東京海洋大教授で、国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは、ほぼ建造時の状態で保存されているエンジンと船体は歴史的価値が高いとした上で「英ロンドンの科学博物館では産業遺産のエンジンを動かすことで、先人の技術やものづくりの思想に直接触れる機会を設けている。日本丸のエンジンを動かす試みは良いことだ」と注目している。

波乱満ちたハマの象徴
 ミナト横浜のシンボル・帆船日本丸は戦中から戦後にかけて純白の帆や帆桁(ヤード)が外され、貨物船として戦禍を生き抜いた。数奇な運命を支えたのが2基のディーゼルエンジン。同船を「波乱に満ちた日本海運史の象徴」と位置付け、エンジン再始動の可能性を探る帆船日本丸記念財団(横浜市西区)はその歴史的価値をアピールしていく。

 太平洋戦争が激しさを増してきた1943年1月、日本丸は同市神奈川区にあった浅野ドックで帆装(はんそう)艤装(ぎそう)を外す改造が施され、白い船体はねずみ色、後に黒色に塗り替えられた。それから11年間、貨物船としてエンジン運航が始まった。

 九州で産出された石炭を瀬戸内海で輸送しながら、実習生を乗せて訓練を続行。戦時中にほとんどの日本商船が沈んだが、貨物船になった姉妹船の海王丸や病院船となった日本郵船の氷川丸とともに難を逃れて終戦を迎えた。

 戦後は引き揚げ船として上海を皮切りに釜山、シンガポール、台湾などを回り2万人以上の日本人の帰国を支えた。ビルマ(ミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)では定員196名の船内に復員兵1200名が乗船した。

 同財団の元理事で、当時実習生だった筒井利明さんは自著で「兵隊さん達は、ビルマでの4年間のはげしい戦闘、戦友の戦死、2年近くの捕虜としての強制労働、戦犯としての処刑など、肉体的にも精神的にも地獄の状態からみれば、日本丸は極楽であったようである」と記した。

 50年に朝鮮戦争が勃発すると、連合国軍総司令部(GHQ)から海王丸とともに韓国に向かうよう命ぜられ、緊迫する釜山から米軍人や韓国人の避難民約3千人を日本に運んだ。

 再び帆が取り付けられたのは、サンフランシスコ平和条約調印の翌52年6月。53年1月にはペリリュー島(パラオ)など南洋八島に派遣され、戦争の傷痕が残る熱帯のジャングルに分け入り、遺骨収集や慰霊碑の建立に携わった。

 直後に訓練航海を再開し、建造から54年間に1万1500人の実習生を育てた。引退した84年9月16日の機関長日誌には「練習船としての責務を全うした」と英語で記された。

 戦禍を逃れ、海運国日本の船員養成に大きな役割を果たしてきた日本丸は船体の老朽化に直面している。同財団の金近忠彦会長は「日本の海運史や造船史上、大変貴重な『海の生きた文化財』。船体とエンジンを末永く保存していくために、広く協力を呼び掛けていきたい」と話している。

帆船日本丸とエンジン 29枚の帆を備えており、浮かんだ状態で保存されている国内最古の帆船。現役時代は帆走は洋上のみで、船舶交通の多い湾内など小刻みな進路を取る海域ではエンジンを使い、遊覧船並みの速度8ノット(15キロ)で走った。引退した1984年までの稼働期間54年2カ月20日4時間7分は「船舶用のエンジンでこれほど長い期間使用されたものは、世界に類がない」とギネス世界記録に認定された。


機関室でエンジン復活への夢を語る飯田船長=帆船日本丸
機関室でエンジン復活への夢を語る飯田船長=帆船日本丸

エンジンの復活構想が出ている帆船日本丸
エンジンの復活構想が出ている帆船日本丸

帆げたが外され船体が黒く塗られた占領下の帆船日本丸(帆船日本丸記念財団提供)
帆げたが外され船体が黒く塗られた占領下の帆船日本丸(帆船日本丸記念財団提供)

エンジンの状態を記録する黒板
エンジンの状態を記録する黒板

機関室がある部分を指さす飯田船長
機関室がある部分を指さす飯田船長

池貝鉄工所が製造したエンジンの銘板
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池貝鉄工所が製造したことを示す銘板
池貝鉄工所が製造したことを示す銘板

帆船日本丸のエンジンの銘板を示す飯田船長
帆船日本丸のエンジンの銘板を示す飯田船長

帆船日本丸のエンジン復活を夢見る飯田船長
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30年前に停止したまま保存されているエンジン
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