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「民主主義は止まらない」 安保法成立後もデモ「戦争反対」4500人が銀座でデモ

社会 | 神奈川新聞 | 2015年12月7日(月) 03:00

東京・銀座の街で「戦争反対」「憲法守れ」と声を上げるデモの参加者ら=6日、東京都中央区
東京・銀座の街で「戦争反対」「憲法守れ」と声を上げるデモの参加者ら=6日、東京都中央区

 9月19日未明に「成立」した安全保障関連法の廃止を呼びかけようと12月6日、日比谷野外音楽堂(東京都千代田区)で大規模な集会とデモが行われた。主催したのは学生団体「SEALDs」(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)と「安全保障関連法に反対する学者の会」。安保法制が成立した今も、声を上げ続けている。6日は集会の会場となった日比谷野音が満場となる約4500人(主催者発表)が詰めかけ、銀座の街を歩くデモ行進は13のグループに分かれるほどの規模になった。師走の街に響いた声を追った。



冷え込んだ休日にもかかわらず満場となった日比谷野外音楽堂
冷え込んだ休日にもかかわらず満場となった日比谷野外音楽堂

 始まる前から会場はにぎわい、開始の午後1時にはほぼ満席となった。前列には大学生や高校生が詰めかけている。大学の仲間4人と参加したという綾瀬市に住む男子大学生(20)に、イベントに参加した理由を聞いた。

 「安倍政権は安保法制を強行採決した。単にある法律を強引に成立させたというだけにとどまらないと思うんです。民主主義や平和主義、立憲主義、さらには日本の安全保障政策という意味でも数多くの問題を抱えている。しかも結果的に、IS(イスラム国)から標的だと宣言されてしまった」。言葉を選びながら話す。

 そして「法律は成立してしまったけど、この安保法制の内容をもっと多くの人が知って、理解したらその危険性にきっと気付くはず。内容の周知はやはり『不十分』ということ。反対の声を広げるためには、気付いた人が声を上げ続けるしかない」と、会場に足を運んだ理由を説明した。

石田純一さん「言論の自由あってこそ」


 イベントが始まる。サプライズゲストが登場すると、高校生や大学生からも「かっこいい!」「すごい!」と声が上がった。颯爽と登壇したのは俳優の石田純一さんだ。

 「3分と言われたのに、もう5分以上話している」と笑いを誘ったスピーチ。少し長いが、その概要を紹介する。


 私は皆様と勇気と共感を分かち合うためにやってきました。私ももちろんそうでありますけれども、このたびSEALDsをはじめとした若い人たちが本当に久しぶりに声を上げた。潮目が変わってしまったと思われる戦後の歩み。ここでなぜ、いま変える必要があるのか。なぜ平和で安全な国を変えようとしているのか。理解に苦しむ。


「自由な言論があってこそ」と語りかける俳優の石田純一さん=東京都千代田区の日比谷野外音楽堂
「自由な言論があってこそ」と語りかける俳優の石田純一さん=東京都千代田区の日比谷野外音楽堂

 僕は二つのことを危惧している。戦後70年はいろんな犠牲の上にある。日本人だけではない。中国の方、近隣のアジアの国、いろんな国の犠牲に上に成り立っているのが、この平和で自由な国だったと思っている。

 なぜ、世界一平和で安全な国をいま変える必要があるのか。それが僕の本当の危惧だ。

 これ(安保法制)がいいと思っている人もいるだろう。僕らもこうやって声を上げさせてもらっている。でもやはりこの戦後というものを僕は、もう何十年も、何百年も続けていきたい。

 私はこないだ(国会前の)デモに参加させてもらって、いろんなところでお叱りを受けます。もちろんいろんな意見がある。僕は、右でも左でも中道でもいいと思う。でも言論の自由があってわれわれ(の社会)は成り立っていると思います。ちょっとお酒を飲んで、街を歩いていても「石田君、君が言っていたことは間違っているよ。中国が攻めてきたら丸腰でどうやって戦うんだ」と言われる。こういうのを「反知性主義」というのでしょうか。

 いままでも中国が攻めてきても周辺事態法というのがありまして(2000年に)亡くなられた小渕恵三元首相もおっしゃられていました。「日本の周辺は守れる。これを個別的自衛権と申します」。法律もその上の憲法も、その解釈も、微妙なところはあるけれども自民党も野党もなく、そうやってやってきた。

 それを一挙に憲法の解釈を変えてしまった。非常にすごいこと。どこを目指しているのか。心配になる。
 
 そして、先ほど言った『反知性主義』の話ですが、首相も「国民の理解が進んでいない」と言っていましたが、これ理解が進んだら(世論が)反対になってしまうということ。自民党や安倍政権を支持している方々は、それはそれで自由です。だが「丸腰で戦えるのか」とか、そんな話はどこにもない。どこを勉強してもそんなことはあり得ないんです。

 (もう一つの危惧として)われわれが安保法制に反対した理由というのは10個以上の法律をいっぺんに、しかも審議も尽くさずにやったということ。記録をちゃんと取っていないそうじゃないですか。

 これは昔、金融機関が不良債権を買ってもらうときに一番ひどいものをこそっと忍ばせて全部まとめて買ってもらったような、そんなやり方だ。国民の政党である自由民主党がそういうことをやってしまった。

 反対の方が多いんです。NHKでも新聞でもどこの調査でも反対の方が多かった。審議を尽くしてもらいたい。大事なことですから。僕らはもう一回求めたいと思う。ちゃんと審議しましょうよ、と。
 
 重要影響事態法。分かりにくくて。非常にレトリックがおもしろいやり方で、やっぱりまずいものを隠すという、それが最近の傾向だと思う。もう一度、表に出して、ちゃんと話し合おうじゃないか、とそう思う。

 世界一平和で安全で、どこの国にも戦争にいかない、そういう日本でありたいと強く願っています。

本当の絶望は、私たちが声を上げなくなったとき




 続いてマイクを握ったのは、明治学院大1年のくるみさん=横浜市。SEALDsのメンバーで、この日、初めてのスピーチに臨んだ。

 まもなく2015年が終わろうとしています。私は現政権によって立憲主義が侮辱されたこの年を忘れません。そして自由と民主主義を諦めない人々とつながれたこの年を忘れることができません。安倍さんが「忘れるであろう」と言ったこの年の出来事は私の心にしっかりと刻まれました。9月19日、民主主義のプロセスを無視し安保法案は強行採決されました。


「本当の絶望は私たちが声を上げることをやめたとき」とスピーチする明治学院大1年のくるみさん=2015年12月6日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂
「本当の絶望は私たちが声を上げることをやめたとき」とスピーチする明治学院大1年のくるみさん=2015年12月6日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂

 今国会での成立を拒む世論は8割、法案成立の反対は6割、憲法審査会の3人の憲法学者の違憲判断。研究者・学者1万4千人の抗議声明。そして国会前のみならずあらゆるところで、宗教、政治的立場を問わず、この法制の危険性を訴え反対の声を上げてきました。この数値化、可視化された事実を政府は無視したのです。

 この法制の中身は非常に重要で、私たち一人一人の生活に関わってくる問題です。それを閣議決定から短期間で決め「国民のため」と言いながら、これだけ多くの国民の声を無視する、独裁政治と言われても仕方ありません。この法制の成立によって日本は戦争ができる国となってしまいました。

 独の首相が戦後40周年で話した言葉が思い出されます。「問題は、過去を克服することではありません。そのようなことができるはずがありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにしたりすることはできません。しかし、過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者はまたそうした危険に陥りやすいのです」

 この言葉をそのまま安倍さんに伝えたい。この法案は過去への侮辱です」

 私は、ポーランド、長崎、広島、沖縄、台湾、韓国、いままで戦争の爪痕が残るいろいろな地を訪れました。おびただしい人間の死と破壊。戦争によってゆがめられた人生、分断にあった民族、終わらない戦後。

 そんな事実に向き合ったとき、私はどう生きるのか問われます。歴史を背負って私たちは生きている。過去とは決別できない。決別してはいけないと、強く思います。過去に盲目となるのはやめましょう。権力に歴史を語らせることはやめさせましょう。

 理不尽に死んでいった多くの死を「美しい」とは私はとても言えない。記憶し、寄り添うべき歴史は、人々の嘆き、苦しみ、悲しみであるべきです。今こそ、私たち一人一人が過去の歴史に向き合い、日本帝国100年の総括を、帝国主義の側からするのではなく、大衆の側からするべきです。

 私はあらためて多くの死から平和を決意し、制定された日本国憲法の価値を再認識します。先人たちが残した民主主義精神を、生きた遺産として私たちが引き受けたい。

 戦争は究極の消費活動です。私たちの血税は何十、何百億円かかる戦闘機に使われ、相手国の街、文化、生活、あらゆるものを破壊し、多くの命が消費されていく。生み出すものは何もありません。あるとしたら、それは日本に向けられる憎しみと、日本が攻撃されるリスクでしょう。

 想像してください。ボタン一つ、指示一つで、ミサイルや戦闘機が狙う先に誰がいるのかを。「国民」や「テロリスト集団」などと一括りにするのではなく具体的な人々の姿をそこに想像するべきです。

 来年7月には選挙があります。安保法案が閣議決定された日、安保法制という言葉が大きくニュースに出てきた日、二十歳の誕生日を迎えました。これから始まる20代に期待を膨らませている中、安保法案というまた聞き慣れない言葉は、次第に私の心を占めていき、重要な言葉となりました。二十歳になったこの手で一票を投じることができる。嬉し過ぎます。私が世界に応答する一つの手段を得られました。
 
 安倍さん、個々の命の尊さを語れないあなたに、私は、私の尊い一票はあげられません。

 私たちは何に忠誠を尽くしますか?私にとってそれは首相という個人でもなく、国でもなく、日本国憲法の文言と理念です。安倍さんがきっかけをくれた。未来をあきらめない連帯の手は決して離さない。

 本当の絶望は、私たちが声を上げなくなったときにやってきます。そうであるなら、ここから私が見えている光景は、希望そのものでしょう。
 
 民主主義は仕組みではなく、人であると再認識します。目先の利益や宗教、思想、私たちが分断されてしまうきっかけは社会のあちこちに転がっています。時代によって移り変わるものではなく、普遍的な価値や真理を探究し、捉え続けましょう。

 この国が戦争に加担し、海の向こう側の誰かを殺し、私たちが殺されることは耐えられない。犠牲を必要とする平和とは決別する歩みを進めましょう。

 理不尽に奪われていった、権力が語らない死を見詰めながら私は生きていきます。犠牲の上に生きている矛盾した現在の自分と、闘っていきます。私は私であり続ける努力をします。私は未来を選び取る自由を決して手放さない。2015年12月6日、私は安保法制に反対し、世界の平和を心から希求します。


日比谷野外音楽堂の脇に横付けし大音量で、「戦争反対」の集会に対し抗議する団体
日比谷野外音楽堂の脇に横付けし大音量で、「戦争反対」の集会に対し抗議する団体

SEALDsのデモ隊に黒塗りの街宣車が横付け


 共産党の志位和夫委員長、民主党の福山哲郎幹事長代理、生活の党と山本太郎となかまたちの玉城デニー幹事長ら国会議員や、評論家の佐高信さんのほか、学者の会のメンバーで大阪大学の三島憲一名誉教授や、SEALDsのメンバーで筑波大大学院1年の諏訪原健さんらがスピーチに立った。聴衆から喝采が送られる。

 三島名誉教授のスピーチの途中、遠くから街宣車の音が鳴り響いた。やがて近づき、スピーチが爆音でかき消される。黒塗りの街宣車4台ほどが日比谷公園に横付けしていた。


日比谷公会堂の脇に横付けし大音量で、「戦争反対」の集会に対し抗議する団体
日比谷公会堂の脇に横付けし大音量で、「戦争反対」の集会に対し抗議する団体

 「何が『戦争反対』だ。ふざけんな。ぼけたことを言っているんじゃない」 「これまではアメリカの核に守ってもらっていたということもあるけれども、いざ戦争になったらアメリカが守ってくれるか分からないじゃないか」
 「お前らにはまともな考え方のやつがいないのか。憲法9条が守ってくれるって、何を言っているのか」
 「ばかやろう!来いって言うから来たんだろ!そっちから挑発しておいて、どうするんだおい。何が帰れ帰れだ、この野郎」「責任者連れてこい」

 音が割れ、演説と複数の街宣車からのヤジが交錯しはっきりと聞き取れない。戦争反対デモに抗議する別の団体だった。
 駆け付けた警察に誘導されるようにして、15分ほどで走り去っていった。
 午後2時半過ぎ。ラップやヒップホップ調の音楽を響かせるサウンドカーがゆっくりと走り始め、SEALDsのデモが始まった。参加者らは日比谷公会堂を出て、銀座の街へ向かった。
 「民主主義って何だ?」「これだ!」
 「戦争反対」「平和を守れ」「憲法守れ」
 「未来を守れ」「言うこと聞かせる番だ!俺たちが!」「野党は共闘!」
 定番のコールが響き、何事かと銀座の街をゆく人々が好奇の目を向ける。露骨に邪魔だと言いながら歩き去る人がいる一方で、車の中からスマートフォンで写真を撮ったり、観光バスの中から手を振る姿もあった。

 やがてゴールの東京駅近く、鍛治橋交差点が近づく。最後のコールが始まろうというときだった。


デモ隊と黒塗りの街宣車が交錯し一時騒然となった鍛治橋交差点付近=6日、東京都中央区
デモ隊と黒塗りの街宣車が交錯し一時騒然となった鍛治橋交差点付近=6日、東京都中央区

 再び黒塗りの街宣車が2台、爆音とともに猛スピードでSEALDsのサウンドカーの直前へ走り込み急停止した。随所に日の丸を貼り付けた車体には「自主憲法制定」「日韓断交」「日中断交」「中共粉砕」といった文字。

 互いの音ががなり立て合う。

 「戦争反対!」「やつらを通すな!ノーパサラン!」の声が響く。一色触発、警察車両がデモ隊と黒塗りの街宣車との間に割って入り混乱を避けようとする。交差点の手前には、後から後からデモの参加者が詰めかける。一帯は一時騒然となった。20分ほどで黒塗りの街宣車は警察車両に誘導されるようにして交差点を走り去っていった。

 デモに参加していた大学生の1人が、混乱の雑踏を悲しげに見詰めていた。

 「私は、生きていて良かったって、いろんな人が共に思える、そういう世の中にしたいと思っているだけなんです」


「民主主義は止まらない」と書かれた横断幕を手に、日比谷野外音楽堂を出て銀座へ向かうデモの参加者ら=東京都千代田区
「民主主義は止まらない」と書かれた横断幕を手に、日比谷野外音楽堂を出て銀座へ向かうデモの参加者ら=東京都千代田区

「民主主義は止まらない」と書かれた横断幕を手に、日比谷野外音楽堂を出て銀座へ向かうデモの参加者ら=東京都千代田区
「民主主義は止まらない」と書かれた横断幕を手に、日比谷野外音楽堂を出て銀座へ向かうデモの参加者ら=東京都千代田区

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