
10万5千人超が犠牲になった1923年9月1日の関東大震災を生き延び、その体験を証言してきた日高帝(てい)が、今年10月1日に亡くなった。猛火に襲われた横浜で命をつないだ帝は当時19歳。傷ついた数多くの被災者を救護し、成瀬村(現伊勢原市)のわが家へ避難する道中では逆に人々の善意に浴した。体に染み付いた苦難の経験と感謝の気持ちを語り継ぐようになったのは、100歳になってからだった。晩年、その思いに触れた人たちは、遺(のこ)した言葉の重みをあらためてかみしめる。帝は何を伝えたかったのか。
享年111歳。東京都内の施設で静かに息を引き取った帝を見つめ、次女加藤紀子(74)は察した。「もう十分に生きたと思ったんでしょう。あんなにたくさん自分の経験を伝えることができたんだから」
体力が弱っていた今夏は震災のことを口にしなくなっていた。しかし、思いを遂げられたという満足感にも似た気持ちをあるいは抱いていたのかもしれない。
100歳のとき、こうつづっていた。
〈かねてより御尊顔を拝し、関東大震災の当日の有様を、個人として、申しあげたく存じておりましたが、その折もなく、一〇〇歳になってしまいました。勿論(もちろん)、市には沢山(たくさん)の記録はございますが、東京のことは大きく新聞やテレビで報ぜられておりますが、横浜全土が焼土と化した惨事は、あまり知らされてないように思いますので、ほんの一部でもお役に立つ箇所があれば幸と存じ、書いてみました〉
そう書きだした回顧録の宛先は横浜市長。しかし、その貴重な証言に光が当てられることがないまま時は過ぎ、一人の研究者との出会いが縁で自らの体験を世に知らしめるようになる。