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瀬戸内寂聴秘書・瀬尾まなほ
【ひとすじ】“春の嵐”結んだ縁(上)

社会 | 神奈川新聞 | 2015年11月1日(日) 10:43

岩手・天台寺で1年5カ月ぶりに説法を開いた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(左)を見つめる秘書の瀬尾まなほさん=2015年10月11日
岩手・天台寺で1年5カ月ぶりに説法を開いた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(左)を見つめる秘書の瀬尾まなほさん=2015年10月11日

 長く険しい山道を、お地蔵様に励まされ一歩一歩進んだ。10月11日。作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(93)の姿が、岩手・天台寺にあった。住職を18年務めた寺で1年5カ月ぶりに行った青空説法。午前5時から檀家らが集まりだし、午後1時半の開始時には、境内を2千人以上がぐるりと囲んだ。(西村 綾乃)

 金色の法衣をまとった瀬戸内さんの手を取り、身体を支え歩くのは秘書の瀬尾まなほさん(27)。細川護煕元総理が都知事選に出馬し、吹雪の中で応援演説をした時も、6月に国会前で安保法案反対と声を上げた際も、瀬戸内さんをすぐそばで支えていた。

 祖母と孫ほどに年が離れた2人を近づけたのは2013年3月、瀬戸内さんが京都・嵐山に立てた寺院「寂庵」に吹いた“春の嵐”がきっかけだった。

 尼僧自身が「90歳の大革命」と笑うそれは、50年以上生活を共にした事務所のスタッフが、25歳の新入り娘1人を残し総辞職するというもの。「先生を楽にしたい」とスタッフが退陣した後、瀬尾さんが寂庵を守り、秘書を務めている。

 侘助(わびすけ)が寂庵の庭を彩ったその年の12月。シャガールの絵が飾られている応接室に、ほほを寄せて笑う2人の姿があった。ケラケラと声を上げ、身体を揺らす様子は姉妹のよう。「若い人は、私が知らないことを教えてくれるのよ」。探求心いっぱいの瀬戸内さんにとって、瀬尾さんは刺激の塊なのかもしれない。65ある年の差などみじんも感じさせなかった。

 瀬尾さんはパッと目を引く美人。大きくて丸い瞳で相手をしっかりと見つめ、丁寧に言葉を選んで話す。兵庫生まれで、3姉妹の次女。華やかな雰囲気をまとうが、二つ上の姉は勉強ができる才女、七つ下の妹は自分の声の才能を活かすことができる場所を持っている。「胸の中にはいつも劣等感があった」と目を伏せる。

 見た目が派手だと、いじめられたこともある。親に相談できず、閉じ込めた傷。気持ちをはき出せずにいた中学2年のとき、交換留学生として1週間ほど訪れたアメリカで個人を尊重する場があると知った。「狭い世界で生きているのはイヤだ。抜け出したい」と英語の勉強に励んだ。進学した高校ではカナダで学ぶ機会を得た。ドイツ、メキシコなど世界各地から来た同世代の仲間と交流。世界は一つではないと、視野がぐんと広がった。大学進学後も国際交流は続き、世界に友だちがいることが誇りだ。


◆直感

 在学中は就職活動を控え、「私がやりたいことは何か」と迷った。「今すぐに決めなくてもいい」と親の理解もあり、1年間の休学を決め、興味があった服飾関係でアルバイトをすることに。生活費はカフェのアルバイトを掛け持ちし1人暮らしをした。お金を稼ぐ大変さを身をもって感じた。風邪で寝込んだときは、親のありがたさが身にしみた。復学し、就職活動を再開。でも、やはり心が定まらない。

 そんな時、祇園の茶屋に勤めていた高校時代の友人が「いいところがある」と声をかけてくれた。

 セトウチジャクチョウ--。何となく聞いたことがあるぐらいの知識だった。「まなほに絶対合っていると思う! 詳しいことは言えないけど私を信じて!」。どこで何をするかも教えられず、勧められるままに話が進み始めた。まさか瀬戸内さんのところだとは少し後になってから知った。

 ただ、瞬時に「ここに懸けるしかない!」と直感した。

絶対働く気で、履歴書を送ったのが10年10月。翌年2月に寂庵に出向いた面接では、骨折のため歩行器姿の瀬戸内さんが現れた。恋人、好きな食べ物のことなどを問われるがままに答え、ガールズトークに花が咲いた。1時間ほどたったとき、「来てみる?」と採用が決まった。卒業式が間近だった。

 秘書の勉強をしたことはなく、資格も持っていない。「セトウチジャクチョウ」が、「瀬戸内寂聴」だと思い知ったとき、急に不安になった。

 そこに吹き荒れた“春の嵐”。食事の管理や身の回りの手伝い、仕事のスケジュール管理、出向いた先でのボディーガードなど、それまで5~6人でこなしていた仕事が一気に自身の肩にのしかかった。瀬戸内さんに「1人でできる?」と聞かれ、「できますと言わないと何も始まらないだろう」と腹をくくった。「できなくて当たり前なんだから、やれるだけ2人でやってみよう」と言われ、二人三脚で歩むことになった。

 「一対一で何でも話すようになって、距離がぐっと縮まりました。(私が)料理ができるのに、すごくできないと思っているのが時々しゃくに障るんです。先生は舌が肥えているから」と毒舌も引き継いでいるよう。「でも、先生。私と過ごすようになって、すごく若返ったんですよ」と話す声が弾む。

 嵐が収まったころ、2人そろって疲れがどっと出で、仲良くベッドに並び点滴を打った。対話を積み重ねて生まれた絆。歩くスピードもいつしか同じになっていった。


◆居場所

 
 

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