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ナチスドイツに学ぶ
時代の正体〈204〉民主主義考「決められる政治」の末路

社会 | 神奈川新聞 | 2015年10月7日(水) 12:24

 20世紀最悪の独裁者に対して誤解があるかもしれない。「ヒトラーが暴力的な手段で、あるいは逆に、民衆の支持と民主的な手続きで政権に就いた、との解釈は真実の半分ぐらいしか言い当てていない」。東大大学院の石田勇治教授(ドイツ近現代史)はそう言う。実際は、政界の保革伯仲を打開したい保守政治家や財界に担がれたのだった。そして議会制民主主義は骨抜きにされ、人権を脅かす法律が矢継ぎ早に成立…。それは遠い昔の外国の話ではない。侵略と虐殺は、今の日本でも称揚される「決められる政治」の帰結だった。 

支持なき過激政権


 「ナチ党はもう終わりだ、という世論の観測があったほどだった」と石田教授は解説する。ヒトラー政権が誕生する直前の1932年11月のことだ。同月の国会選挙でヒトラー率いるナチ党は第1党の座こそ確保したが、議席を減らし、過半数には遠く及ばなかった。その上、ナチ党の牙城といわれたチューリンゲン州の同月の地方選でも、4割もの議席を失った。

 にもかかわらず、翌33年1月、大統領ヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命した。ナチ党衰退の一方で共産党が躍進したことを脅威と捉えた財界が、ヒトラーを首相にするようヒンデンブルクに請願していたのだ。当時の保守派の間には、過激な民族主義で大衆を扇動するヒトラーを利用し、「用が済めば放り出す」との楽観的なもくろみさえあったという。

 石田教授は強調する。「必ずしも民衆の支持を受け、選挙でヒトラー政権が生まれたわけではない。それを可能にした制度と、保守派の考えを検証しなければ」。その制度こそ、当時最も進んだ憲法といわれたワイマール憲法だった。

進んだ憲法の陥穽


 32年11月の国会選挙でナチ党に票を入れたのは、大まかにいって国民の4人に1人にすぎなかった。そのナチ党に強大な権力を与えたのは、保守派の思惑と、制度の陥穽(かんせい)だった。

 「ワイマール憲法は確かに、男女同権など人権の面では当時最も優れた憲法だった。しかし、統治機構に関しては問題があった」と石田教授は説明する。

 当時のドイツは国会と大統領の二元代表制。国民の直接選挙で多数を占めた政党の代表が首相になり、同じく選挙で選ばれた大統領が首相や閣僚の任免権、国会の解散権を持った。そうやって相互補完的にバランスを取っていた。

 だが、大統領には「切り札」があった。「大統領緊急令」だ。同憲法48条には「公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またその恐れがあるときは、共和国大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ…」と定められていた。「必要な措置」とは事実上、憲法が定めなかった「大統領の立法行為」をも認めるものだった。

議会主義への懐疑



 なぜ、ワイマール憲法は二元代表制のバランスを欠くような強大な権限を大統領に与えたのか。

 「非常に重要なことだが、当時は学者も含めて議会制民主主義に対する懐疑がかなり根強かった。大衆は正しい選択ができない、という蔑視がエリートや市民階級の間に根強くあった。つまるところ議会制民主主義は機能しない、と」

 確かに、32年には7月、11月と2度にわたる国会選挙が行われたが、過半数を取る政権は現れなかった。「どんな法律も予算案も通らず、国会は全く動かなくなった。大統領緊急令による統治が常態化し、国会は形骸化していった」

 ワイマール憲法が制定されたのは19年。同年、第1次大戦に敗れたドイツは過酷な賠償と領土縮小を条件としたベルサイユ条約を受け入れ、天文学的インフレにあえいだ。その後安定を取り戻したのもつかの間、29年の世界恐慌で再び国内情勢は混乱した。

 「ワイマール憲法がまともに機能したのは10年程度で、定着するまもなく政治不信が高まり、新たな政治体制が待望される事態に陥ってしまった」。ヒトラーは政界に現れた当初から議会制民主主義を否定していたが、既存の保守層も同じ方向を向いていたのだ。

殺戮のシステム化


 「決定的なのは33年の授権法(全権委任法)の成立だった」と石田教授は説く。行政府に立法権をも与え、首相が国会審議を経ずに法律や予算を決められる制度だ。完全な独裁体制が発足した。「その後は、おびただしい数の政府法案が出され、全てがあっという間に決まっていった」

 政党や労働団体を解散に追い込み、その上で新党結成を禁じ、ユダヤ人を公職から追放する職業官吏再建法を制定した。ヒンデンブルクが死去し、ヒトラーが首相と大統領を兼ねる総統に就任したのは34年8月。ヒトラー政権誕生のわずか1年半後のことだった。

 ユダヤ人や障害者の虐殺、同性愛者やホームレスの隔離、強制収容というナチスの「国家的メガ犯罪」は授権法が道を付けた。制度に基づいた虐殺-。「600万という人間を短期間のうちに、組織的に殺戮(さつりく)するには、官僚的なシステムが不可欠だった」。加えて、前年に国会議事堂が炎上する火災があり、ヒトラーはこれに乗じて非常事態を認定し、国民の基本的人権を停止していた。

徹底的レイシスト


 憲法や議会が軽視されたナチ時代のドイツは、恐ろしいほど現在の日本に重なる。もちろん「憲法の形は異なるし、日本国憲法には70年の蓄積があり、単純比較はできない」と石田教授は慎重だが、一方で相通ずる思想的な危うさを感じもする、という。

 例えば、日本の街頭でやまないヘイトスピーチ。「絶対に許してはならない。ヒトラーは若いころからユダヤ人を虫けら呼ばわりし、何の根拠もないのに第1次大戦の敗因を『ユダヤ人の裏切り』に求め、ヘイトスピーチを平気でやるような人間だった」。ヒトラーは、徹底的なレイシスト(人種差別主義者)だった。それを踏まえ、石田教授は十数年間にわたったナチ時代をこう位置付ける。「徹底して民主主義と人権が蹂躙(じゅうりん)された時代だった」

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