オウム真理教幹部らに殺害された坂本堤弁護士一家の遺体発見から20年。元教団幹部の上祐史浩氏(52)は、教団の交渉役として接した坂本弁護士の印象や、教祖だった松本智津夫死刑囚が殺害を決断した動機などを語った。
-坂本弁護士と教団の交渉はどのようなものだったか。
「私は未成年信者の出家が問題視されていると考え、定期的に親に会わせるなどの妥協点を探ろうと考えていた。『私のような成人も家に帰らなければならないのですか』と聞くと、坂本弁護士が『帰ってもらいます』と即座に答えたことを覚えている。成人の出家は、個人の信教の自由があるから問題はないと思っていたが、われわれの主張は冷静にきっぱりと否定された。妥協するつもりはないのだと感じた」
-松本死刑囚はどうして坂本弁護士の殺害を考えたのか。
「週刊誌のサンデー毎日が反教団キャンペーンを展開し、坂本弁護士が取材を受けていた。教団はサンデー毎日を敵視していたが、坂本弁護士が影響力があるTBSのテレビ番組にも出演しようとしていた。メディアを敵視するよりも、『情報源となる坂本さんが悪い』という意識になっていったのではないか」
-教団の犯行だと知っていたのか。
「教団が拉致したのではないかと新聞やテレビで報じられたので、教祖に電話した。『殺害したとしても、それは悪いことではない』という言葉があり、さらに『もう分かっているようだからな』と言われた。私は教祖が教団の関与を認めたと受け取った。暴力的な手段での革命思想を受け入れる土壌が私の中にあり、教祖への帰依を続けるか、葛藤したが帰依を続けた」
-オウムの教義のどこに問題があったのか。
「人を殺しても、来世は高い世界に導けるという思想が一番の問題だった。例え殺人を命じられたとしても逃げると卑劣とされ、実行すると英雄視される。善と悪の価値観が反対になってしまった」