
オウム真理教幹部に殺害された坂本堤弁護士=当時(33)=一家3人の遺体発見から20年。志半ばで逝った仲間の無念の現場で同僚たちもそれぞれの20年に思いをはせ、弁護士としての原点を見据えていた。
「坂本には、もっと頑張れよと言われているような気がする」
坂本さんの遺体が見つかった新潟県上越市の山中。救出活動の中心を担った弁護士の影山秀人さん(57)は、こう言って静かに慰霊塔を見上げた。坂本さんと事務所は違ったが、子どもを取り巻く課題の解決に一緒に取り組んだ仲だった。
「最近でもいじめや児童虐待など、子どもに降りかかるいろいろな問題がある。この20年で子どもたちが幸せと言える社会にできただろうか」。その後も子どもの問題に積極的に取り組み、日弁連の委員長なども務めたが、慰霊の塔を前にすると自らを戒める言葉が口を突いた。
横浜法律事務所の同僚弁護士、小島周一さん(59)も同様だ。
事件当時、弁護士になってまだ2年半だった坂本さんは「弁護士としてピュアな気持ちを持ったまま命を奪われた」と考えている。実務の前に当初の理想は打ちのめされ、現実に負けてしまう。経験を重ねることで、損得や駆け引きを覚え、案件のこなし方を学んでいく。そんな姿を見せることなく坂本さんは逝った。
同僚として「何をやっているんだよ」と言われるような仕事はしたくない。毎年の現場訪問は、そんな決意を示す場でもある。
この日は、東京弁護士会で弁護士への業務妨害の防止に取り組むメンバーが初めて参加した。坂本さんが亡くなったのと同い年の33歳の若手もいた。
現場に建てられた慰霊碑の説明役を買って出たのは小島さんだ。
背面には、司法修習生だったときに坂本さんが書いた「一年生」と題する文章が刻まれている。自閉症の青年と交流する中で、理不尽な暴力を受けた経験を打ち明けられ、弁護士として「声なき彼らのような人々」の心をくみ取る仕事をしようという決意がつづられた内容だ。青年から学んだことをいつまで持ち続けられるかが、弁護士としての自身の課題だということを坂本さんは記していた。
小島さんは文章が刻まれていることだけしか説明しなかったので、若い参加者がどう思ったかは分からない。「こちらが押しつけるのではなく、ありのままの事実から、坂本がどんな人間だったのかを感じてほしい」。小島さんの願いだ。



