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チベットの「焼身抗議」記録 映画「ルンタ」

社会 | 神奈川新聞 | 2015年9月5日(土) 11:17

焼身抗議で亡くなった人たちの遺影を見上げる少年僧 (蓮ユニバース提供)
焼身抗議で亡くなった人たちの遺影を見上げる少年僧 (蓮ユニバース提供)

 中国政府による圧政が続くチベットで相次ぐ「焼身抗議」を追ったドキュメンタリー映画「ルンタ」が、5日から横浜市中区の横浜ニューテアトルで上映される。人間の尊厳に向き合った「蟻の兵隊」「先祖になる」などの作品で知られる池谷薫監督(56)が、わが身に火を放つという非暴力の抵抗、チベットの人々の心に迫る。

 映画の冒頭。路上で焼身する人の映像が流れる。居合わせた人が炎にあえぐ人に向け、手を合わせている。

 池谷監督が解説する。

 「火を消して助けても、焼身した人が中国当局に連行されれば、拷問を受けたり、テレビで無理やり『反省』をさせられたりする。それを知っているから周囲は自らに火を付けた人の思いをくみ、ただ祈るのです」

 焼身はチベット語で「自らに灯明をともす」と表現される。灯明は仏神に供する明かり。そこに込められているのは圧政と宗教弾圧への抗議、そして民族の自由と解放への痛切な願いだ。

 歴史は1949年にさかのぼる。

 中華人民共和国を建国した毛沢東はチベットへ侵攻。圧倒的な軍事力でチベット族を弾圧した。66年から始まった文化大革命では10年の間にチベットの文化、伝統を破壊。6千超あった僧院はほぼ壊滅され、僧侶・尼僧も多くが強制的に俗人へと戻された。

 チベットの人たちが暴力による抵抗を試みたこともあったが、そのたびに多くの命が失われ、情報統制によって「チベット人による暴動」として世界に伝えられるだけだった。チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世はそうした抵抗をやめるよう非暴力を説いた。

 そして2009年、焼身抗議が始まる。

◆気高い抵抗
 作中、今も続く圧政と抵抗の歴史は一人の日本人を案内人に語られる。

 亡命政府のあるインド北部の町ダラムサラを拠点に、中国で政治犯として拷問を受けたチベット人の支援活動を続ける中原一博さん(63)。チベットの文化に魅せられ、亡命政府の専属建築士となった人物だ。

 中原さんは焼身抗議の取材も行い、中国の国内から伝わってくるその一件一件をインターネットを通じて情報発信をしている。

 〈抑圧され、だまされ、基本的人権もない状況で自由を奪われるのは焼身より苦しい〉
 中原さんが取材で入手した遺書の一節だ。

 池谷監督は言う。

 「チベット問題をずっと撮りたかったし、誰かが撮らなくてはならないと思っていた。しかし、中国の圧政下では取材に協力した相手に危険が及ぶ。人脈を持ち、中国の外で自由に発言できる中原さんという希有な人がいたからこそ、撮れた映画だった」

 圧政を逃れて亡命している多くの証言者が登場する。

 デモに参加して拘束され、6年にわたり電気ショックなどの拷問を受けた元尼僧。抵抗のゲリラ活動で身を賭したが捕らわれ、24年収監された老人。19歳にして焼身抗議の道を選んだ女性の知人。むごく、悲しい現実がとつとつと語られる。

 池谷監督は「いい意味で期待を裏切られた」という。「苦しい撮影になる覚悟をしてきたが、違った。彼らはどこかすがすがしく、気高かった。その表情を見て、自分が何を撮るべきかが分かった」

 決して他者を傷つけることのない「非暴力をさらにとぎすませる」行為としての焼身、そして彼らが命をかけて守ろうとしているもの-。

 「伝統、文化、土地…。そしてもう一つ、ふるさとなんだと思った」

◆利他の精神
 ダラムサラから始まった映画は後半、彼らの故郷、今は中国となっているチベット文化圏へ舞台を移す。

 どこまでも続く草原。そこに生きる遊牧民の笑顔。敬虔な信仰を体現する人々。映像は静かに雄弁に、故郷を写し取る。

 「取材相手に迷惑を掛けられないから、現地ではチベット人に政治的な質問はしないと決めていた。ただ目の前に映るものを見れば、彼らが失ったもの、取り返したいもの、守りたいものが分かった」

 美しさは一方で、現実の残酷さをあぶり出す。

 僧院では、歴史にわれ関せずというように中国人観光客がはしゃぐ。草原を何げなく区切る金網は、中国政府が一方的に土地を区画したことを意味する。それによって遊牧が制限され、伝統的な生活は危機に瀕している。

 焼身抗議があった現場にも足を運んだ。僧院の一角もあれば、ありふれた市場の場合もある。身を賭した激情の抗議もしかし、時間の流れとともに痕跡は薄れてゆく。

 「それでも実際に訪れることでその人生に触れ、物語性をくみ取っていく。ただの事件、事故だと捉えれば、チベットはただの遠い物語にしかならない」

 池谷監督の言葉は、ブログで焼身抗議の様子を発信し続ける中原さんの思いと重なる。

 「私たちが寺でお祈りするのは自分や身の回りの人のこと。チベットの人たちは世界平和を祈る。利他の精神がチベット仏教の根本にある。戦争のできる国へ向かう日本にあって、非暴力の闘いを続けるチベットの人たちのありようは示唆に富む」

 タイトルの「ルンタ」はチベット語で「風の馬」を意味する。人々は丘に立ち、願いを込めてルンタが描かれた紙を空へまく。風の馬が空を走り、大地を巡り、この世の苦しみから自由にしてくれますように、と。

 映画はエンドロールで、焼身で亡くなった人の名を記す。

 「この地球上に、こんなに悲しくて激烈な手段でしか、思いを表明できない人たちがいることを知ってほしい」

 そこに確かにあった一人一人の物語、そしてその思いよ、世界に届け-。

 それは監督自身がまく、ルンタであるはずだった。

 焼身抗議は映画が完成した今春以降も増え続け、現在147人となっている。

 上映は初日の5日は午前10時、午後0時半、午後5時10分。6日から11日は午前10時、午後0時10分、午後4時40分。初日は最初の2回に池谷監督と中原さんの舞台あいさつがある。問い合わせは、ニューテアトル電話045(261)2995。

◆チベット問題
 中国共産党は1949年の建国後、歴代政権の主張を踏襲し「チベットは中国の一部」として軍を進駐させた。抵抗するチベット族は59年、軍と武力衝突してチベット動乱となり、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らがインドへ亡命し、亡命政府を樹立した。中国は65年にチベット自治区を成立させ、その後、中国の抑圧的な統治に反発する抗議活動が頻発。89年と2008年にはラサで大規模暴動が起きた。ノーベル平和賞受賞者、ダライ・ラマは「高度な自治」を求めているが、中国は「分裂主義者」と敵視している。

●いけや・かおる
 テレビ向けのドキュメンタリーを手掛けた後、製作会社「蓮ユニバース」を設立。文化大革命に翻弄(ほんろう)された父娘の再会を描いた「延安の娘」(2002年)、中国残留日本兵を追った「蟻の兵隊」(05年)、東日本大震災の被災地で生きる木こりを描いた「先祖になる」(12年)では香港国際映画祭グランプリなど多数受賞。

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