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消された〝天使〟たち
時代の正体〈164〉「GI」ベビーの実像

社会 | 神奈川新聞 | 2015年8月12日(水) 11:22

孤児たちの台帳には空欄が目立つ。両親の国籍欄には「父 アメリカ」「母 日本」と記されたものが多い
孤児たちの台帳には空欄が目立つ。両親の国籍欄には「父 アメリカ」「母 日本」と記されたものが多い

 戦後の占領下に進駐軍と日本人女性の間に生まれた「GIベビー」。望まない形での誕生もあったとされ、孤児になったケースも少なくない。小さな命はどのように扱われ、亡くなっていったのか。横浜市中区山手町の児童養護施設「聖母愛児園」に保管されている台帳の記録から実像を追った。

 聖母愛児園は乳児院として1946年に開設。51年のサンフランシスコ講和条約締結時までに1062人を預かり、1割を超える122人が死亡した。

 入所するGIベビーがどのように生まれ、施設に預けられたか。児童相談所が保護者から聞き取った記録が残されていた。

 50年11月16日付の「児童入所について」には、市内に住む16歳の母親が生後1カ月の男児を施設に預けたと書かれている。

 この母親は同年1月、進駐軍の調理師だった祖父と中区長者町の停留所近くで待ち合わせていた。「顔見知りの黒人が通りかかって実母を無理に自動車内に押(おし)込み関係した。帰り際に300円くれた」と記す。



 母親はレイプ被害を打ち明けることができなかったようで「7月になって祖母が気付き、実母を叱責(しっせき)したところ、それを苦にして服毒自殺を図ったが未遂に終わった。この時、人工中絶を図ろうとしたが、母体が弱って居(い)たためやめた」。

 男児の台帳には、実父があだ名で書かれており「その後の消息は不詳」。台帳に国籍を示す欄に「父 アメリカ」「母 日本」と書かれた事例はいくつもあり、実父は行方をくらますか帰国しているケースが多くみられた。

県内に集中


 52年当時、聖母愛児園は全国最多の143人を収容していた。県社会福祉協議会がこの年にまとめた「神奈川県下における混血児の状況」によると、県内の施設にいる子どもは276人。沖縄を除く全国の児童福祉施設にいる児童数は482人で、全体の57・2%を県内が占めていた。

 横浜市内は市街地の大部分が進駐軍に接収され、横須賀基地や厚木飛行場、キャンプ座間など、神奈川が本土随一の「基地県」だったことが背景にあるとみられる。

 50年ごろまでは氏名不詳の軍人からレイプ被害を受けた事例がみられ、「洗濯婦」や「ハウスメイド」として進駐軍に出入りするうちに内縁関係となり、妊娠出産後に夫が帰国したケースもあった。

 次第に、基地周辺でGI相手のキャバレーやバー、喫茶店などで従業員として働く女性が身ごもる事例も増え、「売春婦」が記録に現れるのは55年ごろから。55年11月29日付で児童相談所が聖母愛児園に提出した「児童送致書」には「駐留軍人を相手に売春をしていた○○○○なる婦人と白系米人との間に生まれたということであるが、詳細は不詳である」(○○○○は名前)と書かれていた。

桜の木の下



 施設に預けられたのは生まれたばかりの乳児が多かった。台帳から46年2月から48年2月までに入所した孤児100人(生年月日が不明を除く)の年齢を調べたところ、生後1カ月以内が51人と半数を超えた。1週間以内に預けられたのは18人だった。

 台帳には病院や駅、停留所といった街中に遺棄されたとの記録が記されている。生後2週間の女児は46年11月18日の夜、「横浜市中区桜木町駅公衆便所横桜の木の下に発見された」。水たまりができるほどの雨が降っており、女児は保護から1カ月後に死亡した。

 路上に放置された孤児の多くが栄養失調にかかっており、疾病などで命を落とした。衛生環境が悪化して赤痢や腸チフスなどの伝染病が流行し、47年8月までの1年間に約45人、さらに48年8月までの1年間で約50人が亡くなったと記されている。

埋葬地の謎



 亡くなった大勢のGIベビーはどこに埋葬されたのか。「児童退所名簿」によると、最も多くの孤児が埋葬されていたのは、戸塚区の「聖母の園墓地」。少なくても男女94人の氏名が書かれていた。

 2006年まで聖母愛児園を運営した社会福祉法人聖母会によると、聖母の園墓地は既になく、代わりに納骨堂が建立された。

 堂内の御影石の石板には白い文字で「聖母愛児園」と書かれてあり、56年1月から68年6月に亡くなった男女12人の名前が刻まれていた。退所名簿と照合したところ2人の女児の名前が一致した。

 この他の埋葬地は名簿に記録があっても特定できなかった。桜木町駅前の桜の木に置き去りにされた女児は46年12月、「横浜市保土ケ谷墓地」に埋葬されたとの記載がある。英連邦戦死者墓地(保土ケ谷区)で埋葬者名簿や墓碑を調べたが、女児の名前は見つからなかった。市営墓地とみられる「横浜市共同墓地」に女児が46年9月に埋葬されたとの記録もあったが、この墓地は存在自体はっきりしないままだ。

母親の悲痛



 児童相談所が作成した「児童入所について」の記録には、戦争によって幸せが引き裂かれた37歳女性の悲嘆がつづられていた。

 夫は43年に出征した後、音信不通に。戦後は横浜の実家から進駐軍に勤務し、白人の米兵と交際が始まり妊娠した。

 49年夏、夫が抑留されていたシベリアから帰還。夫婦は9月、再び一緒に暮らし始め、50年4月に男児が誕生した。ところが「夫の帰還日より算へ(かぞえ)て出産が早し然(しか)も目の色が違ふ」。すぐにGIベビーだと分かった。男児は生後1カ月で施設に預けられた。

 九州に暮らす女性は47年11月、新聞記事で聖母愛児園を知り4カ月の男児を預けた。「実母は(男児を)預けしが三日間決心がつかず当玄関先にて泣き暮らし後帰郷す」とあった。

 施設では、シスターたちが献身的に接したほか、米国から贈られた「ララ物資」で食事が提供された。そうして育ったGIベビーは成長するにつれ、国内では偏見や差別を受ける。聖母愛児園には、54年から増加する米国家族との養子縁組に関する資料も残されている。

 聖母愛児園の佐藤慎一郎施設長は「かつては社会から偏見や差別を受けたGIベビーはいまは忘れ去れている。戦後70年の節目にいま一度目を向け、戦争の暗い歴史から学ぶべきだ」と話している。

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