映画監督・塚本晋也監督
時代の正体〈147〉戦場の実相を執拗に暴く
社会 | 神奈川新聞 | 2015年7月24日(金) 12:58
戦後70年の節目に、衝撃の日本映画が登場した。塚本晋也製作・監督・脚本・主演「野火」(25日、横浜公開)。戦争映画は数多いが、これほど無残で醜悪な死を描く映画はなかった。銃撃で頭部がザクロのように裂けた兵士、死臭漂う野戦病院、飢餓と人肉食。「英霊」「聖戦」「皇軍」という美辞に隠された戦場の実相を執拗(しつよう)に暴く。試写会では目を背ける人がいた。なぜ、ここまで描いたのか。塚本監督に聞いた。

映画化まで
原作は実際にフィリピンで戦った作家・大岡昇平の純文学(1952年刊行)。レイテ島の山中をさまよう田村一等兵が遭遇した事件がつづられる。59年、市川崑監督が映画にした。
「リメークではなく、原作から感じたものを映画にした」と塚本監督。高校生の時に「野火」を読んで以来、「本当の戦場にいるような臨場感、恐怖が頭から離れなくなった」。
30歳を過ぎて本格的に映画にしようと始動したが、作品のスケールが大きく、なかなか実現しない。さらに時が流れた。体験者の話だけは聞いておこうとインタビューを重ね、レイテ島の遺骨収集に参加した。
戦争を知る人が少なくなる一方で、戦争を知らない為政者たちが“戦争ができる国”へかじを切った。焦った。「作るなら、今だ」と思った。が、テーマ故か、製作資金を出す会社がない。やむなく私費を投じた自主製作映画になった。
加害者として
「日本の戦争映画の多くは、ヒロイズムか被害者=悲劇の視点に立っていた。自分がやるなら、加害者になってしまう恐怖を描こうと決めました」
田村は、偶然出会った現地の女性を射殺してしまう。原作にはこうある。「戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない。私が殺人者となったのは偶然である。(中略)これは事故であった。しかし事故なら何故私はこんなに悲しいのか」。田村は「国家が私に持つことを強いた」歩兵銃を川に捨てる。
映画では、この女性が再び“登場”する。降伏しようと米軍戦車に近づいた日本兵に、女性ゲリラが銃を乱射する。鬼の形相が自分が殺した女性の顔に見えて、田村は立ちすくむ。