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横浜・黄金町浄化10年
ゴールドマイン(1)ガード下 秘めた野心

社会 | 神奈川新聞 | 2015年7月18日(土) 11:37

服部三郎さんが終戦後に住み着いた京急線ガード下は、コンクリート打ちっ放しの小粋なバーになった。電車の通過音が往時のまま頭上に響く
服部三郎さんが終戦後に住み着いた京急線ガード下は、コンクリート打ちっ放しの小粋なバーになった。電車の通過音が往時のまま頭上に響く

 戦後の混沌(こんとん)から生まれた横浜・黄金町一帯の売春街。県警が一斉取り締まりに乗り出してから今年で丸10年が過ぎ、最盛期に257を数えた店舗は一掃されている。欲望が群がり、千金が湧いた“金鉱(ゴールドマイン)”の秘史を掘り起こす。


 横浜・黄金町の生き字引といえる男の成り上がりは、京急線ガード下の段ボールの根城から始まった。

 横浜港を一望できるほど、一帯が焦土と化した第2次大戦直後。雨風を辛うじてしのげるだけの1畳半のそれも、とても住処(すみか)とはいえぬ代物だった。

 あるじの名を、服部三郎といった。

 横須賀の旧海軍水兵長として終戦を迎え、福島に帰郷していた服部は、21歳だった1947年、食いぶちを求めて横浜市戸塚区の土建業者に転がり込んだ。懐が潤うと、件(くだん)の「ボロ屋」を250円で買い取り、住み着いた。

 このころ、伊勢佐木町周辺が米軍に接収され、退去を強いられた住民が大岡川対岸の黄金町一帯に移り住んでいた。やがて国内最大ともされる闇市が立ち、出稼ぎ労働者らに体を売る女性が現れる。後に「ちょんの間」(特殊飲食店)と呼ばれる売春宿だ。服部もガード下の小屋に店を構えた。

 58年に売春防止法が施行されて青線(非合法売春街)の取り締まりが強まると、服部は売春宿の経営から手を引き、売春の場所貸しに商売を替えた。その数年前に寿町と黄金町に開いた中華そば店「黄金屋」も繁盛し、69年からは売春宿を束ねる飲食店組合の組合長を任された。

 往時の黄金町は「地獄」に例えられた。黒沢明の映画「天国と地獄」(63年公開)で、売春と麻薬の巣窟として描かれたからだ。ヘロインを求めてうろつく雑踏に、服部は商機を見いだした。中毒者は喉が渇く。まだ物珍しかった自動販売機を100万円ほどで買い求め、ジュースを売りさばいた。これが当たった。

 
 

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