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時代の正体〈130〉対立の島から(上)暴力むき出し 抑圧の海

社会 | 神奈川新聞 | 2015年7月3日(金) 10:47

臨時制限区域に近づいた取材団を沖縄防衛局の巡視船から向けられたデジタルカメラが執拗に追った =6月11日、沖縄県名護市辺野古
臨時制限区域に近づいた取材団を沖縄防衛局の巡視船から向けられたデジタルカメラが執拗に追った =6月11日、沖縄県名護市辺野古

 波間に揺られながら、私は沖縄タイムスの記者の言葉を思い出していた。

 「権力者がその力を行使する場合、民衆にばれないようにこっそりとやるものだ。沖縄では違う。権力はむき出しだ。隠そうとしない。それは沖縄県民は下に思われているからだ」

 ただちに意味が理解できなかった私だが、漁船に乗り込み、沖へ出て、初めて分かった気がした。確かに本土とは違っていた。

 まばゆい陽光をよそに張り詰める空気、感情を消した色のないまなざし。ここは新基地建設の埋め立て工事に向けた準備が進む沖縄県名護市辺野古。立ち入り禁止の境界を示す浮具を挟み、巡視船から向けられたデジタルカメラのレンズがこちらを執拗に追い掛けていた。

 漁船の船長が船上アナウンスを使い、日本記者クラブの取材団であることを告げる。撮影をやめる気配はない。海上保安庁のゴムボートからもカメラを向けられた。

 本当に撮影しているのだろうか。だとすれば何のために。撮影のための撮影。そんな言葉も頭に浮かんだ。つまり監視対象であることを思い知らせるために-。

 胸にざらりとしたものを覚え、思わず口走った。
「何のために撮っているんですかっ」
すぐに悔いた。

 傍らで船長は言った。

 「今日は報道陣相手だからか、おとなしいよ。今年に入ってから、基地建設に抗議する人たちの船に体当たりしてくるようになった。高速でぶつけられた船は大破し、カヌーは転覆させられた。乗っていた人は海に投げ出され、救急車で運ばれた。暴力が一線を越え、異常な事態になっている」

 数時間その場にいただけで知った気になった自分を恥じた。

差 別



 日米同盟の名の下、基地を造るという国家の意思とこれ以上、新たな基地は造らせないという沖縄の民意が鋭く対立する最前線の海。別の漁師は言った。

 権力がここで行っているのは、監視ではなく恫喝であり、警戒ではなく暴力であり、監視活動という名の下の弾圧だ、と。

 そして分断という見えざる暴力も、また。

 沖縄防衛局の巡視船に地元の漁師の姿が見えた。

 「国が雇った。金で黙らせたのさ」

 同じ漁師仲間、こちらは取材団を乗せてチャーター料を手にした漁船の船長は言った。

 「海底でボーリング調査が始まり、辺野古ではほとんど漁ができなくなった。船を買ったり、修理したりで借金を抱えている。漁師が漁もできず、船の上で監視役として一日中、ぼーっと過ごすしかない」

 基地建設の推進側に立つか、反対する側に立つか、選んだのではなく、選ばされるという抑圧。

 やはり昨年10月、沖縄キリスト教学院大の知念優幸さんに聞いた言葉がよぎった。沖縄のことを知ってもらうために休学して全国各地を巡っていた。横浜市内での講演で知念さんは「差別」という言葉を使った。

 「他国の侵略から守るため、沖縄には米軍基地が必要だという人がいる。それは、日本のためなら、沖縄が犠牲になっても仕方ないという発想にほかならない。沖縄の人間ならそれを差別と感じる」

 ぴんとこないどころか、差別という強い言葉に抱いた違和感が苦い痛みとなってよみがえった。胸に広がった不快感は後ろめたさに変わっていた。

同 化



 辺野古の海に出た翌日、日本記者クラブの主催で沖縄防衛局長の会見が行われた。私は聞いた。

 「辺野古の警戒監視活動で、ビデオカメラで撮影をしているのはなぜか」

 もうわずかな違和感もそのままにしたくない、という思いからだった。

 職員は答えに窮した。戸惑いぶりは思いも寄らない質問だ、といった反応だった。井上一徳局長は「もう一度、確認する」と答えた。

 会見後、地元の県政記者クラブ所属の全国紙記者が声を掛けてきた。

 「ここではビデオ撮影は日常茶飯事。東京から来た僕も当初は驚いたが、毎日、当たり前に行われ過ぎていて、もはやおかしいとも感じなくなってしまった」

 慣らされてゆくという、これも暴力に違いない。そしてその先に待つものを見た思いがした。取材の最終日、沖縄戦の悲劇を伝えるひめゆり平和祈念資料館の見学を終え、昼食を取っていたときのことだ。

 目の前に座った、全国紙の論説委員の男性はゆっくりと、それでいて威圧的な口調で言った。

 「先日あなたがビデオ撮影について沖縄防衛局長にした質問は、防衛省の記録に残るだろう。むちゃなことはしないほうがいい。安倍政権を甘く見ないほうがいい」

 この物言いなのだ。沖縄の側に立ったとみなされた途端に向けられる、見下ろすまなざし。そして、かくも権力と一体化できる本土メディアの暴力性に、そこに属する一人として私は身震いを覚えた。

 6月9日から13日まで日本記者クラブの沖縄取材団に参加した。対立の最前線に身を置き、感じたことをつづる。

沖縄タイムス
神奈川新聞の記者が見た辺野古「監視」の現場
沖縄タイムスに寄稿しました。

◆辺野古新基地建設問題
 沖縄県宜野湾市の市街地にある米軍普天間飛行場の移設をめぐる問題。1995年の米兵による少女暴行事件を機に、国土面積の0.6%にすぎない沖縄県に国内の74%が集中する米軍基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府が96年4月、普天間返還で合意した。日本政府は99年12月に名護市辺野古への移設を閣議決定、2013年3月に辺野古沿岸部の埋め立てを県に申請した。仲井真弘多知事(当時)が13年末に埋め立てを承認し、沖縄防衛局が14年8月に海底ボーリング調査を始めた。この問題が争点になった選挙では、同年1月の名護市長選で辺野古反対派の稲嶺進氏が再選し、9月の名護市議選でも反対派が過半数を占めた。11月の知事選では仲井真氏を破って反対派の翁長雄志氏が初当選した。翁長知事は、前知事による名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認の取り消しや撤回の判断を8月上旬にする方向で調整している。

 
 

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