
自民党が憲法改正をテーマに制作した漫画「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?」をどう読むか。母親たちの議論は「公共とは何か」から、現憲法の否定に通じる女性観にも向かった。
武井 漫画の中で、お父さんが「公共の福祉って何?」と聞き、ひいおじいちゃんが「公益」と答える場面があります。これは間違い。公共の福祉と公益はイコールではありません。
瀬田 どういうことですか。
武井 自民党自体がこれは違うと言っています。2012年に発表した憲法改正草案を見てみましょう。国民の責務と自由と権利に関する12条の「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という部分を「国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と変更しているのです。本来、憲法でいう「公」とは、国という要素を除いた「みんな」のことです。私たち「国民の利益」は時として「国家の利益」と相反するから。国は戦争は続けたいけれど、国民はやめたいと思っている、ということがあり得るでしょう。でも、一般に「公」というと、その中に国が含まれるように受け止められ、自民党はその感覚を基本にしています。
瀬田 なるほど。「国民の利益」より「国家の利益」が優先されているのですね。
武井 自民党が「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換えているのは「国が決めたことが社会秩序だ」という発想に基づいていると思います。そうなると、国が原発再稼働を決め、それが公の秩序とされれば、原発に反対する団体は秩序を乱すものとみなされ、取り締まりの対象となってしまうことが考えられます。
中山 そういう読み方はしていなかった。
武井 日本では「公」と「国」が混同されがちなので、あえて現憲法では「公共の福祉」と言い、公から国を除いています。憲法は、私たち国民の権利を守るためにあるもので、国とは対抗関係にある。国の都合で国民の行動を制約するようになったら、主客がひっくり返り、憲法が憲法ではなくなってしまう。
中山 胸に引っ掛かっていたものがいまの説明ですっきりした。
瀬田 憲法がうたう基本的人権の尊重という考え方は「あなたが大事」「あなたは愛されているのよ」と、個人の存在を認めてくれるものだと思う。日本の教育では「平均的であること」が求められ、「あなたが周りに合わせなさい」ということばかりが強調されます。我慢しろ、と。間違った個人の概念が子ども時代に刷り込まれているかも。
武井 公共との距離の置き方にも問題があると思います。日本では「みんなに公共には迷惑を掛けないでおこう」ということが強調されますが、人に迷惑を掛けないで生きていくことなどできない。人は、生まれた時から誰かの手を借りて育つものです。逆に言えば、人の手を借りないと生きていけない人を否定する社会は全体主義社会ですが、それは恐ろしいと思います。