目尻のしわに苦節の日々がにじんだ。12日投開票の川崎市議選・高津区選挙区で初当選した共産党新人宗田裕之氏(56)。喜びもひとしおなのは過去、衆参両院選、県議選に7度立候補し、ことごとく落選してきたからだ。躍進の共産-。風雪の厳しさを知る苦労人は党に向けられるまなざしの変化を確かに感じていた。
初めて街頭に立ち16年、思えば逆風続きの「候補者人生」だった。
たとえば、2001年参院選。時の首相は「自民党をぶっ壊す」と宣言し、自民党総裁に駆け上がった小泉純一郎氏。「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」とぶち、時代の閉塞(へいそく)を打破する構造改革への高まりが「小泉旋風」となって吹き荒れていた。
マイクを手に自民党批判を口にすると厳しい視線を浴びた。
「小泉改革を止めるな、と考える人が多かった」
改革を掲げる野党の存在意義を根っこから揺さぶられた。共産党候補としての得票率は別の候補者だった前回の14%から8%へ大幅に減った。
「選挙はさまざまな人の力を借り、自分の全てを懸ける。落選すれば人格を否定されたように思われ、落ち込む。人に会いたくなくなり、選挙区内を歩きたくなくなる」
出身は北海道。縁もゆかりもない神奈川での出馬。逆風の中には「共産党アレルギー」という、自身の政策の善しあしや努力ではどうにもならないものもあった。それでも「党の勢力拡大には自分が立候補しなければ、と」責任感をひとり背負った。
■変 化
初めて選挙に出たのは1999年の統一地方選での県議選だった。その後、県議選1回、参院選1回、補選を含めた衆院小選挙区4回と、愚直に敗北と向き合ってきたからこそ分かる変化があった。
今回、駅前で「若者を戦場に送るな」と大きく書いたプラカードを支援者に持ってもらった。
足を止める人が一人、また一人と現れ、「頑張れ」と声を掛けられた。握手を求められた。ガッツポーズをしながら通り過ぎる若者がいた。
集団的自衛権の行使容認に代表される、安倍政権が抱える危うさを表現しようとつくったプラカードに対する意思表示。
「これまでも同じことを訴えてきたが、こんな反応は初めてだった。特に戦争を経験した高齢世代、その世代を親に持つ中年世代の支持を感じた」
自分は長年、自民党を支持してきたのだが、と打ち明ける人が何人もいて「驚いた」。
ほかの野党への不満も感じることになった。
政権交代を目指す民主党が期待を集めていたときは「政権交代を邪魔するな」と街頭でなじられた。自民、民主に代わる第三極として、みんなの党が期待を集めたときも、共産への支持は広がらなかった。
「民主、みんなも対立軸を打ち出したが有権者の期待を集められなかった。そこで共産党が注目されるようになった。霧が晴れ、むしろ『自民党に対抗するのは共産党なんだ』と多くの人が考えるようになった。本質が現れて見えてくるようになったのだろう」
■貫 く
初当選から一夜、歓喜の余韻が残る事務所で漏らした「16年間、候補者を続けてきての初当選。うれしかった」の言葉に実感がこもる。
父は地元で郵便局長を務めた。自民党員だった。
保守的な家庭で育った宗田さんが共産党に入ったのは18歳のときだった。
「小林多喜二の『蟹工船』を読み、共産党が侵略戦争に反対していたことを知った。戦争反対を貫ける人になりたいと思った」
息子の入党を知り、父はしばらく寝込んだ。だが、退職後、同じ共産党員となって、選挙のたびに手伝ってくれるようになった。いつしか「自民党はもう駄目だ」が口癖になっていた。
「10年ほど前に亡くなった父に初当選を報告したかった」
妻と長女と3人暮らし。初めて選挙に挑戦したときは2歳だった長女も高校3年生になった。「一度も当選を報告できなかったことを申し訳なく思ってきた」。4年前、県議選に落選した宗田さんがふさぎ込んでいると長女が「お父さん、大丈夫?」と心配してくれたことを思い出す。
「落ちる選挙には出ないでほしい」という思いを抱えていたに違いない妻も選挙カーに乗って支えてくれた。当選が決まると「やったー」と声を上げて喜んだ。
「これが最後と臨んだ選挙。家族を笑顔にできてよかった」
今後、党への期待にどう応えるのか。
「ぶれないこと。追い風が吹こうが吹くまいが、一貫した主張を続けることが大事」
これまでの歩みがそうであったように-。
◆政権に歯止めかける存在/自民の安保政策にお灸
有権者の声
長年自民党を支持し、今回の統一地方選では共産党候補に投票したという有権者に話を聞いた。
■川崎市高津区の無職男性(67)
長く自民党を支持してきたが、熱心な支持者というわけではなかった。ほかに選択肢がなく、投票も渋々と、という感じだった。
安倍政権は集団的自衛権の行使容認と特定秘密保護法制定に踏み切った。これまでの自民党ではやらなかったことをやったという意味で大きな変化を感じる。これまで通り支持していいのか悩んできた。
自衛隊の存在は否定しないが、憲法9条を変えて日本が戦争できる国になるのは反対だ。
ただ「ノー」と言いたくても野党に頼りなさを感じてきたのも確か。共産党にしても議員数は少ないし、投票しても当選するか分からないと思った。やはり積極的な支持とはいえない。それでも政権に歯止めをかける存在が必要だ考え続けた結果として共産党に投票した。
■同市中原区の会社員男性(58)
シベリア抑留から生還した父から「何があっても戦争は絶対にしてはいけない」と聞いて育った。戦争世代の思いが自分を含めた下の世代に伝わっていない。政治家にしてもそうなのだろう。
集団的自衛権の行使が認められれば、他国の戦争に加わる恐れが生じる。日本の若者を戦地に送るべきではない。だから、行使容認は反対だ。
地域に根差し、身近な存在の政治家が多い自民党の支持であることに変わりはない。ただ、いまの安全保障政策は軌道修正してほしい。その思いを投票行動で示すため、共産党を選んだ。お灸(きゅう)を据えるという意味を込めたつもり。
ほかの野党に入れる気にはならなかった。民主党は伸び悩み、第三極も頼りない。原発再稼働も集団的自衛権も明確にノーと言える野党は共産党の他にないのではないか。