
春野菜のウドの収穫が、横浜市瀬谷区の生産農家でピークを迎えている。農地は6月末をめどに国に返還される在日米軍上瀬谷通信施設(横浜市瀬谷、旭区)の一部。土地の使用制限の中、農家が知恵を絞り育ててきた特産品だけに、農家は来年以降も栽培できることを願い、収穫に汗を流している。
1月下旬に、ウド室(むろ)に移された40センチほどの根株は裸電球の明かりの下、75センチ程度に育った。ニョキニョキ伸びた白いウドは順番に刈り取られている。
ウド室は高さ約1・8メートル、奥行き約8メートルの狭い横穴で88カ所設けられている。昭和30年代後半、通信障害を避けるため建物を建てることが禁止されたが、「地下で育つウドなら」と栽培が始まった。
現在、横浜市と農家はウド栽培の継続の道を探り、国と協議中。農家の高橋功さん(55)は「横浜ブランド農産物の一つでもある瀬谷のウドの歴史を絶やしたくない」と話し、来年の作付けに向けた準備を始めているという。