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ビキニ事件61年
問われる記憶矮小化

社会 | 神奈川新聞 | 2015年3月1日(日) 11:34

太平洋上できのこ形の雲を見た石井さん=三浦市白石町
太平洋上できのこ形の雲を見た石井さん=三浦市白石町

 米国が太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆ブラボーの実験で、静岡県焼津市のマグロ漁船が被ばくした事件は1日、ちょうど61年を迎えた。「第五福竜丸事件」「ビキニ事件」などとして象徴的に光が当てられる一方で、記憶の矮(わい)小(しょう)化という負の側面を指摘する声もある。核実験による被害は、こうした呼び名が示す対象にとどまらないからだ。

きのこ形の雲

 ビキニ環礁から東へ800キロほど離れた、未明の太平洋上。30代前半で甲板員だった石井富蔵さん(89)=三浦市白石町=は、マグロの揚げ縄作業をしていた。

 「見上げるような高さの白い光線が上がった。その後、空気が焼けたのか赤くなり、きのこ形の雲がかさの部分だけ見えた。今でも鮮明に覚えている」

 20~30人の乗組員の中には、驚いて魚倉に逃げ込んだ者もいた。漁労長は危険と判断し、揚げ縄後に2日ほど東へ船を走らせたという。

 これは、いわゆるビキニ事件が起きた1954年当時の話ではない。石井さんが乗船していたのは、船員手帳に「28琴平丸」と記録された三崎港を拠点とする船。雇用期間は58年1月~62年12月で、きのこ雲を見たのは58年ごろという。石井さんは「あの時分は(核実験を)よくやっていたんですよ」と振り返る。

54年の前後も

 ビキニ事件といえば、米国が54年3月1日のブラボーを皮切りにビキニ、エニウェトク両環礁で計6回行った核実験「キャッスル作戦」による被害を示すことが多い。被災船数のベースとして使われる「延べ992隻」とは、被災漁船の放射能検査が打ち切られた同年12月までに魚を廃棄した漁船の数だ。

 しかし、太平洋では54年の前も後も核実験は行われている。米国は広島、長崎へ原爆を投下した翌46年にビキニ環礁でクロスロード作戦を開始。冷戦を背景に米国が太平洋で行った核実験は、46~62年に100回以上を数える。

 石井さんがきのこ雲を見たとみられる58年には、太平洋では米国だけでもビキニ、エニウェトク両環礁を中心に30回以上実験を行っている。にもかかわらず、帰港先の三崎で放射能検査があったのは第五福竜丸によって被ばくが明らかになった54年の1回だけ。しかも、マグロだけだったという。

言葉独り歩き

 「第五福竜丸事件、事件何周年などの呼び方はもうやめた方がいい」。太平洋核実験による被ばく問題を10年以上取材してきた南海放送ディレクターの伊東英朗さん(54)は力を込める。マグロ漁船は核実験が行われていた期間に何度も出漁。しかも被災船はマグロ漁船にとどまらず貨物船などもあり、放射性降下物「死の灰」が日本本土に降り注いでいたことも分かっている。

 「言い続けるほど言葉だけが独り歩きし、事件や記憶が矮小化していくことを肝に銘じなければならない」

 伊東さんが厳しく指摘するのは被ばくの実態に直面してきたからだ。被ばく直後ではなく、がんなどで50~60代で亡くなった船員がいる事実を丹念に掘り下げてきた。「被害者が死をもってしか伝えられないという最悪の事態がビキニ事件。被ばく時点で影響は分からない。『分からないこと』は、いつのまにか『無いこと』になっていく。被ばくの事件は、被害者が(何が起きているのか)分からないまま被害を受け、(影響が)分からないまま泣き寝入りする性質がある」と話す。

 だからこそ、埋もれてきた被ばくの全容解明を訴える。昔話では決してなく、福島の原発事故問題ですべきことも見えてくると考えるからだ。

厚労省研究班「期待しない」

 ビキニ事件について厚生労働省が1月に設置した研究班に対し、疑問の声が上がっている。同省は昨年9月、第五福竜丸以外の延べ556隻の放射能検査に関する事件当時の資料を初めて開示。研究班は4人の研究者が開示資料を整理し、評価するという。同省は研究班に対し、船員の推定被ばく線量を導き出すことを求めているというが、ビキニ事件を調査してきた太平洋核被災支援センターの山下正寿さん(70)=高知県宿毛市=は「全く期待していない」と断じる。

 今回の研究班には、第五福竜丸以外の船員の被ばくについて、これまで山下さんらとともに独自に調査してきた実績のある研究者は含まれていない。そもそも当時の検査態勢自体が不十分で、研究対象となる開示資料も当時行われた検査の全てを網羅していない「歯抜け状態」だ。山下さんは「間違った結論を出す可能性がある」と指摘。生存者の追跡調査もなく、「事件当時から被災者を放置してきたという反省に立っておらず、死者に鞭(むち)打つようなものだ。本来ならもっと救済の視点から分析する必要がある。人体の健康を守る省庁として、当時も今も変わっていないことが問題だ」。

 一方、高知県は具体的に動きだした。3月16日、室戸市で「ビキニ環礁水爆実験の健康影響に関する相談会」を初めて行う。放射線被ばくの専門家を招き、個別相談にも応じる。県は事件の解明については「国において検証すべき」とし、相談会は「健康への不安解消が目的」としている。

◆ビキニ事件 1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁の東約160キロの公海上で、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が、米国の水爆「ブラボー」の実験による放射性降下物を浴びて被ばくした。ブラボーは「キャッスル作戦」と呼ばれる核実験の1発目で、実験は同5月までエニウェトク環礁も含め計6回続いた。同9月23日に第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんが死去。ビキニ事件の被災船は三崎港を母港とするマグロ漁船をはじめ、少なくとも延べ992隻に及んだ。だが、日本政府は放射能検査を同年末で打ち切り、日米両政府は米側が200万ドル(当時7億2千万円)を支払うことで翌55年1月に政治決着、幕引きを急いだ。2014年9月、厚生労働省は第五福竜丸以外の漁船員の放射能検査の結果など当時の資料を初めて開示した。それまでは、同様の開示請求に「保有していない」などと回答していた。

【神奈川新聞】


太平洋核実験の被ばく問題を取材してきた伊東さん=東京都文京区
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