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津波をたどる〈下〉
未曽有に学ぶ〈47〉逗子◆描かれた教訓、次代へ

社会 | 神奈川新聞 | 2015年2月28日(土) 10:56

小坪に激しく押し寄せた津波を描いた絵図。左奥に江ノ島がある
小坪に激しく押し寄せた津波を描いた絵図。左奥に江ノ島がある

関東大震災で逗子に押し寄せた津波の実態も解明されようとしている。鍵を握るのは、来襲時の緊迫した場面を写実的に描写した一枚の絵図。その価値に着目した市民グループ「三浦半島活断層調査会」のメンバーが描かれた現場を繰り返し歩き、ゆかりの人も訪ねながら、そのとき何が起きたかに迫っている。掘り起こした歴史や教訓を地元の人々や子どもたちに語り継ぐ取り組みも重ね、「だから備えを」との訴えが共感を広げている。

「調べれば調べるほど、この絵を描いた人が実際に津波に遭ったんじゃないかと思えてきた。描いた人は自分の体験を残しておこうと思って、地元にこの絵を置いていったんです」

15日、逗子市民交流センターで開かれたシンポジウム。集まった地元住民ら70人を前に、調査会逗子支部長の蟹江由紀(65)が仲間との4年近くの調査でつかんだ事実を説明し、思いを込めた。「この絵を描いた場所は小坪にある。皆さんもぜひ、足を運んでほしい」

逗子市史に引用され、東日本大震災後に市が作製した津波ハザードマップの表紙も飾った「震後津浪(つなみ)襲来 逗子小坪所見」。

押し寄せてきた津波にのみ込まれる和船、その船体にしがみつき、あるいは投げ出されておぼれかけている男が描かれている。海沿いの傾いた蔵や家屋も津波にのまれそうになっており、崩れた石垣の脇を駆け上がろうとする大勢の姿も見える。

画家近藤紫雲によるこの絵図は、国立国会図書館などに所蔵されている「大正震災画集」に収められていた。蟹江が大きな関心を寄せるのは、鎌倉のような津波の被害を捉えた写真が見つかっていない小坪で唯一の視覚的な記録だからだ。「紫雲自らが実際に津波に遭遇したのか、それとも後に聞いた内容を基に描いたのか」。東日本大震災の直前から解きほぐす作業を地道に重ね、小坪の歴史に詳しい人から貴重な情報を得る。「その絵と同じものが地元の理髪店の鏡の上に飾ってあった」

■慰霊堂 昨年8月、理髪店を訪ねてきた蟹江たちに、店主だった進藤國昭(79)が実物を見せた。歳月を経てやや退色し、国会図書館の所蔵作品とは色合いも異なるが、構図や描かれた内容は同じ。「これは版画なのだろう。画集に収める前の試し刷りを小坪に置いていったのではないか」

存在を確かめる貴重な機会となったが、なぜ理髪店にあるのかまでは分からなかった。進藤は明かした。「額の裏側かどこかにこの絵図が挟まっていた。父親から店を引き継いだ後、珍しいなと思って自分で店に飾ったんだ。どうやって手に入れたかは分からないけれど、描いた人が小坪にいたということはお客さんの誰かに聞いたことがある。津波はうちの下まで来たってさ」

進藤の記憶は思わぬところで裏付けられる。震災時の大火で3万8千人が犠牲になり、最悪の悲劇の現場となった東京・本所(現墨田区)の陸軍被服廠(しょう)跡。遺骨を納めるために建てられた慰霊堂に隣接する復興記念館の展示ケースに、この絵図が収められていた。

〈これは海嘯(かいしょう)に襲はれた筆者の實見畫(じっけんが)である〉

作品の脇に記された言葉が、蟹江が追い求めていた創作のいきさつを明らかにしていた。

〈路傍に緑の蔭(かげ)を落してゐた松樹は海中に陥って仕舞(しま)った、これは震後五、六分に寄せた激浪の爲(た)めで、第三回目の大涛(だいとう)は三間にも餘(あま)る大さで忽(たちま)ちに繋(つな)いだ舟を捲(ま)き上げ、漁家を潰(つぶ)して更(さら)に上へ上へと趁(お)ふて來(く)る、筆者はその浪音に脅(おび)へなからヒタ走りに走って〉

■克明に 「あの日、紫雲は小坪にいた。だからこそ、津波来襲の場面を克明に描くことができた」と蟹江は思い至った。

津波の教訓を後世に残そうとした紫雲。それをいまの備えに生かしていかなければ-。市と活断層調査会が取り組んできた地域を訪ね歩く防災企画「減災大学」で、子どもや地元の人々に絵図について語り継ぐことが実践の場となった。

昨年8月下旬、減災大学に集った人々に蟹江が説いた。「関東大震災のとき、小坪には鎌倉と同じような高さの津波が来たようだ」。調査会副会長の布施憲太郎が言葉を継ぐ。「このとき小坪では何人かが津波にさらわれた。逗子でも流された橋がある。いま同じような地震が来たら、どんなところが危ないか考えながら歩いてほしい」

逗子市中心部の被害現場を巡った小学校4年の児童2人は実感を込めた。「津波は怖い。でも、津波が昔あったということは、知らないより知っていた方がいい。その方が落ち着いて行動できると思う」

こうした取り組みの成果を共有した今年2月のシンポジウムを終え、蟹江は今後を見据える。「絵図を使ったことで、人々が地域に目を向けるきっかけができた。これからも伝え続けなければ」

会場に足を運び、蟹江たちの発表を聞いた進藤はいま、災禍の記憶を刻んだ資料として図らずも注目を浴びることとなった絵図を和紙に包んで大切にしまっている。そして、思いを重ねる。「求められれば、これからもこの絵図を見せるようにしていきたい」  =敬称略

【神奈川新聞】


絵図に関する調査成果を発表し、会場からの質問に答える蟹江さん=2月15日
絵図に関する調査成果を発表し、会場からの質問に答える蟹江さん=2月15日

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