1. ホーム
  2. ニュース
  3. 社会
  4. 時代の正体〈62〉「イスラム国」は問う(2)

時代の正体〈62〉「イスラム国」は問う(2)

社会 | 神奈川新聞 | 2015年2月4日(水) 12:00

映画作家・想田和弘さん(右)と写真家・吉竹めぐみさん
映画作家・想田和弘さん(右)と写真家・吉竹めぐみさん

映画作家・想田和弘さん「70年前の空気感じる」

 「自粛という名の翼賛体制構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」の案文を練り、賛同者を募り始めました。これは安倍晋三政権を批判する声明ではありません。強調しておきたいのは、批判されるべきことがあれば、いつでも批判できるようでないと駄目だということです。

 今回の誘拐・テロ行為は強く非難するし、テロリストの味方などしない。一方、政府の行動や施策がすべて人質の解放に寄与するとは限らなかった。そうであるなら、主権者や国会議員、メディアによって監視、精査、検証され、批判されるべきことがあれば批判されるのが当然です。

 だから、事件をめぐる反応で上がった「いま政権を批判すればテロリストを利するだけ」という声は違うと思う。それに、そう言う人は日本が他国と交戦状態になったときも同じことを言うでしょう。「いま政権を批判すれば敵国を利するだけ」と。戦時中の翼賛的状況と同じです。

 思い出されるのが9・11の米同時多発テロへのニューヨークの反応です。誰もが「テロリストを許すな」「テロと戦え」と口にし始め、その流れは一丸となり、あれよあれよとアフガニスタンに侵攻し、イラク戦争まで始めてしまった。

 当時のブッシュ大統領は「アメリカ側につくか、テロ側につくかのいずれかだ」という言葉で選択を迫りました。テロが許されないのは当たり前。でもどう対処していくかの発想は二者択一ではなく、さまざまな意見があってよいはずです。結局、米国議会でアフガン戦争に反対したのは1人だけ。ある強い反応が起きると国全体が感情的、非論理的になり、解決策にならぬ策を実行してしまい、しかもそれを批判することを許さなくなってしまうのです。

 今の日本にも似た空気を感じます。本当はこう言いたいけどやめておこうとか、問題が起きるくらいなら黙っておこうとか、そういうことは僕にだってある。でも、そこで想像してみる。70年前の日本は恐らくこういう空気だったんじゃないか、と。戦争は一夜明けて突然始まったわけじゃない。抗(あらが)わないといけない大事な局面で声を上げず、何もしないまま、誰も物を言えなくなり、そして戦争が起きた時にはもう手遅れだった。

 安倍首相は声明で犯行グループに「罪を償わせる」と発言しました。イスラム国がしたことは日本への宣戦布告そのもので、罪であることは間違いない。僕だって償ってほしいと思う。でも、「では、どうやって」ということが一番大事です。外国で起きた事件であり、法で裁くのだって簡単ではない。どういう方法になるのか。それは妥当なものなのか。新たなテロの危険を生みはしないか。われわれは監視していかなければならないし、必要であれば臆さず批判していかなければいけない。

 でもここで批判すると「テロの味方をするのか」と言われるのが今の日本です。やはり非常に危うい状況にあると言わざるを得ません。


●そうだ・かずひろ 解説やシナリオを排した「観察映画」という手法でドキュメンタリー映画を撮る映画作家として知られる。代表作に「選挙」「精神」など。著書に「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレット)、「熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する」(河出書房新社)など。栃木県生まれ。44歳。

写真家・吉竹めぐみさん「憎しみにとらわれず」


 インターネットで公開された残虐なシーンに多くの国民が怒り、憎しみを高まらせていることでしょう。でも、いま立ち止まらなければ日本は9・11、つまり2001年の米同時多発テロ事件後と同じ道をたどりかねない。いまだからこそ、後藤健二さんが何を伝えようとしていたのか、残した映像やリポートを見詰め直したいと思います。

 後藤さんは紛争や貧困の現実、そこで苦境に立たされる子どもや女性の姿を伝えようとしていました。それは一体何を意味しているのか。

 偏見は無知から生まれます。物事には多様な見方があるということを忘れ、アラブはこうだ、イスラムはこうだと決めつけていく。

 実際はどうでしょう。私自身はキリスト教徒ですが、20年余り毎年のように取材で訪れたシリアでは大半がイスラム教徒。悪い人もいるでしょうが、多くは優しさに満ち、幸せを分かち合って暮らしてきました。主義主張を乗り越え、彼らが大好きな土地で大好きな家族と暮らし続けられることを何より願っています。

 こうした感情を私が抱くのも、きっと現場を知るからなのです。私にとっては遠くのよく知らない国の話ではなく、通い詰めたシリアのことなのです。

 上を、空を、宙を、見ることを教え、気づかせてくれたのはシリア砂漠でした。時間がゆっくり流れ、それがいとおしく、心地よく、きっと私は今、いい顔をしているのだろうな、と思える時間でした。

 日本では味わえない感覚であり、そうした感覚になること自体、日本にいては分からないものなのかもしれません。

 つまり、世界にはさまざまな人がいて、さまざまな価値観があり、その世界を知るには体験が必要で、体験を基にした想像力が必要だということです。私は写真によって体験と想像力を、見てくれる人に与えることができればと思ってきました。

 この世の出来事や物事は、光の当て方や当たり具合によって姿や影を、時には本質すら変えてしまいます。それが自由であり魅力ですが、恐怖でもあります。

 シリアではこの2年余り、政府軍と反政府組織との内戦で空爆が繰り返され、シリアの人々の多くが友人や親類を失っている。そこで生まれた憎しみをくみ取るようにしてイスラム国が支配地域を拡大させているという現実がある。

 でも、安倍晋三首相はイスラム国を一面的にテロリストと名指しして「絶対に許さない。その罪を償わせるために国際社会と連携していく」と語りました。そうして新たな憎しみと怒りのままに突っ走れば、憎悪は連鎖していくばかりです。

 今回の事件がきっかけで構わない。少しでもシリアやアラブ諸国の現実を知り、その街に住む人のことを思うことができれば、無関心ではいられなくなるでしょう。今、憎しみにとらわれずに立ち止まって考えることは、この国の未来にとって大切なことに思えてなりません。


●よしたけ・めぐみ 東京写真専門学校報道科卒。講談社「現代」編集部を経てフリー。1987年から中東での撮影を始め、95年からシリアの砂漠地帯に住む遊牧民ベドウィンの一家を17年間にわたり取材、撮影。2014年写真集「ARAB」を発刊。日本写真家協会会員、日本外国特派員協会会員、シリア写真家協会名誉会員。東京都生まれ。49歳。

【神奈川新聞】

テロ、テロリストに関するその他のニュース

社会に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング