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教訓をいまに 阪神大震災20年【1】知る 「未体験の世代も伝え」

社会 | 神奈川新聞 | 2015年1月17日(土) 12:15

卒業研究について発表する成尾さん=16日、神戸市垂水区の舞子高校
卒業研究について発表する成尾さん=16日、神戸市垂水区の舞子高校

担任が何を伝えようとしていたかは覚えていない。灰燼(かいじん)に帰した街並みは頭に浮かばず、関心を寄せることもなかった。ただ必ず、静かに目を閉じて黙とうし、復興への願いを込めて作られた歌をみんなで歌った。

兵庫県立舞子高校3年、成尾春輝(18)=神戸市垂水区=が1月17日の意味を「なんとなく知った」のは、かつて通った小学校で意識的な場があったからだった。

家族に犠牲者はない。住んでいる垂水区は神戸市内では比較的被害が小さかった。だからだろうか、親も阪神大震災のことを口にしなかった。「震災とか、防災とかは正直、人ごとだった」

被害の激しさから市外への避難者、転出者が続出した「150万都市」神戸は2004年にようやく震災前の人口を回復。この間に生まれた成尾のような「震災を知らない世代」は増え続け、いまでは人口の1割強を占める。復興の過程で転入してきた「新住民」を含めれば、実に4割が神戸で震災を体験していない。

だから進む風化、それにあらがうための継承。人々の思いが交錯する中、成尾が通う舞子高には独自の実践がある。

■ゼロ 20年の節目を翌日に控えた16日、同校であったメモリアル集会。対岸の淡路島から招かれた野島断層保存館副館長、米山正幸(48)はこう語り掛けた。「震災のことを忘れてしまったら繰り返してしまう。命を大切に生きて」

野島断層は神戸や西宮に震度7の激しい揺れをもたらす源となった活断層。その近くの旧北淡町(現淡路市)に暮らしていた米山は当時の地元を振り返り、こう言ってはばからない。「備えゼロ、知識ゼロ、意識ゼロだった」

しかし、地震後の対応は素早かった。消防団員だった米山は妻と2カ月の長女を小学校に避難させた後、法被を羽織り、つぶれた家の下敷きになった人たちを助け出す作業に加わる。

「どこに寝ているとか、この時間は起きて台所にいるとか、暮らしぶりや家の構造を誰かが分かっていた。だから、あてもなく探すんじゃなく、ここと決めてからがれきを掘り起こした」

生き埋めになった300人もの住民を手分けして救助。もちろん、それでも救えなかった命もある。だが「地元の全員の所在や状況を把握し、地震当日の夕方には行方不明者ゼロと報告できた」。被害は防げなかったものの、島特有の隣近所の強い結び付きが容易にまねのできない共助として実を結んだ。

■意義 成尾が米山の話を聞いたのは、今回が初めてではない。高校1年のときに断層保存館へ出向き、その体験談に心を打たれた。「言葉の一つ一つに力があった。次の災害に役立ててほしいという思いをひしひしと感じた」

成尾が通う舞子高の環境防災科は02年に全国で初めて設置された。1年次に、米山のような震災体験者から当時の壮絶な状況を聴く場を20回ほど設けている。語り手となるのは、消防士や自衛隊員、電気やガスの事業者らだ。

現場での奮闘、身をもって知った限界、抱え続けた苦悩。深くは教えられてこなかった震災についてひたすら学ぶ。猛火に包まれた家を前に放水ができなかった消防士は、いまも涙ながらに当時の悔しさを振り返る。

本年度から環境防災科の科長を務める教諭、和田茂(56)はその意義を強調する。「生の声を聞くことで、生徒たちは震災を自分のものにすることができる」

教員には異動があり、同科の創設から関わっていた科長は他校へ移った。「教える側をどう育てていくかが一番の課題」。若手の教員とともに、和田自身も試行錯誤を重ねている。

■使命 野島断層に最も近い県立淡路高校でも模索が続く。やはり防災教育に力を入れているが、教頭の野田泰宏(58)は「どう伝えていけば使命を果たせるのか」と悩みを口にする。「生徒はなかなか震災のことを実感できていない。震災と言えば、東日本大震災のイメージが強いようだ」

明日の防災を考える催しを開いた16日、一つの試みが形になった。

〈微(かす)かな光を頼りに僕等(ぼくら)は歩き出してく どんな昨日も今日の僕等の背中を押してくれる〉

全員で合唱した「ここに」。創作を依頼した2人組の若手ミュージシャンとともに、体育館に生徒たちの歌声が響き渡った。震災に対する生徒の思いを言葉にし、イメージを膨らませた曲だ。

野田は言う。「どうすれば生徒の身になるのか、心にとどまるのか。それを考えた教員のアイデアだが、この曲をこれからのシンボルにしていきたい」

その少し前、舞子高で発表を行った成尾は月日の重みに思いを巡らせた。「親への感謝の気持ち、そして何か使命があって生まれてきたのかなとも感じる。阪神大震災を経験していないもどかしさもあるけれど、僕も語り継いでいく」

昨年5月、震災のことを文集にまとめる授業の一環で、初めて母に当時の体験を聞いた。通勤途中の電車内で地震に遭い、倒壊した建物の様子にショックを受けたこと、数日を過ごした避難所で水が出なかったこと、出たときに見知らぬ人と手を取り合って喜んだこと…。

「母も恐怖を味わった。地域をどうしていくかも大切だけど、一人一人と向き合うことも大事なんだと気付かされた」。そうかみしめる成尾は前を見据える。「震災はもう人ごとじゃない。せっかくここで生まれたんだから、命の重さを伝えていきたい」

=敬称略

6400人余りの命が失われ、人々の胸に深く刻まれた1995年1月17日の阪神大震災。過ぎ去った20年という歳月は一体、何をもたらしたのか。

【神奈川新聞】


震災をイメージした曲を歌う淡路高校の生徒=16日、兵庫県淡路市
震災をイメージした曲を歌う淡路高校の生徒=16日、兵庫県淡路市
 
 

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