
7回に分けて配分された義援金は172万3千円。「あとはもらってません。これで一体、何ができますか」。講演に立った壇上、浦辺利広さん(58)は振込通知書のコピーを示しながら訴えた。
岩手県山田町を離れて迎える4度目の冬。同じ東日本大震災の被災者である福島の人に「岩手の人が一番かわいそう」と慰められ、こう返したという。「あなたたちは戻りたくても戻れないじゃないですか」。原発事故に伴う賠償金に比べて手薄な支援への不満は、ぐっとのみ込んだ。
わが家は防潮堤を乗り越えた津波にのまれ、全壊した。営んでいた酒屋もろとも押し流され、生活の糧を失った。
長女が暮らす横浜を目指し、夜行バスに乗り込んだのは2011年4月。ハローワークで住み込みのビル管理の仕事を見つけ、横浜駅近くの狭い一室に妻と長女と3人で生活している。
「石の上にも三年。そう言い聞かせて、自分なりにタイムリミットをつくって頑張ってきたけど」
避難生活は3年8カ月となった。横浜で知り合った災害ボランティアらの求めに応じ、苦難の日々を赤裸々に語るのは、被災地の現実が理解されていないと感じるからだ。
11月28日、「四年目のジレンマ」と題し、思いの丈をぶつけた50分の講演に美談はなかった。
「復興ラーメンに復興居酒屋。若い子がすぐに商売をやってはつぶれ、中途半端に終わった。テレビや新聞に取り上げられ、遠くから来た人たちが助けましょうなんて盛り上げて。被災から1年ぐらいで沿岸に商品なんかありませんよ。みんな内陸の人たちが『被災県の商品です』と、泣くような話をして買ってもらっていた」
「復興、復興って騒いでいるのを、仮設に入って商売もできず、じくじたる思いで見ている人はいまだっている。助けてくれるなら、よく見て考えて助けてもらいたい」
あたかも復興が進んでいるかのように取り上げるマスコミ、安易に「絆」を口にする風潮に疑問を抱く。被災地に1人残る次女の住む仮設住宅は一年中カビが絶えない。
山田町では、被災者の緊急雇用創出事業で多額の使途不明金が発覚。受託したNPO法人の代表者らが業務上横領容疑で逮捕される問題も起きた。「雇われた住民は、幹部になると月に40万~50万円ぐらいもらっていたらしい。その人たちの責任はどうなのか」と問題視する一方、思う。「みんな切羽詰まってのことだから。でも、あんな団体おかしいと思い、関わらなかった人もいる。そこにせめてもの救いを感じる」
遅々として進まず、時に地域をも引き裂く復興とは何なのか。
一時帰省した震災翌年の春。生活の匂いが消えたわが家の跡地に立った。更地ばかりが広がる一帯を見渡し、こぼした。「これじゃあ、当分は戻れない」
その年の12月、「復興の加速」を掲げた自民党と公明党が政権を奪取。安倍晋三内閣の発足から2年が過ぎたいま、率直に思う。「何も変わっちゃいない」
海岸から200メートル足らずの自宅は災害危険区域の境界にある。かつての生活を取り戻すのに住まいの再建は欠かせないが、町によるかさ上げの対象地区からは除外された。
立ちはだかる法制度や仕組みの壁に翻弄(ほんろう)され、思い至った。「この国を動かしているのは、やっぱり官僚なんだろう。選挙だって建前の話ばかり。政治になんて期待できない」
【神奈川新聞】