終戦後の横浜で、友好の握手を交わした日本と米国の少女らが、半世紀ぶりに再会を果たした。山下公園(横浜市中区)に立つ「日米ガールスカウト友好の像」のモデルとなった横浜市西区の画家田中紘子さん(71)と、米テキサス州のリビー・ワトソンさん(64)。2人は9日、銅像の前で52年ぶりに対面、変わらぬ友情を喜び合った。
穏やかな海風、心地よい波音。氷川丸を背にした銅像の前には、笑顔で手を取り合う2人の姿があった。同日、開催されたガールスカウトの式典。田中さんが「再会できて感激」と笑みを浮かべれば、ワトソンさんも「信じられない思いです」と声を弾ませた。
「友好の像」は1962年、米国ガールスカウト連盟発足50年と、日本ガールスカウト連盟の世界連盟加盟を記念して建てられた。当時、田中さんは横浜学園高校の3年生。ワトソンさんは父親の仕事の関係で61年に来日、銅像完成時は11歳だった。
関東大震災で倒壊した近隣の建物のがれきなどで海岸を埋め立てて造られた山下公園は、戦後米軍が接収。59年までに全面返還され、再整備完了後の62年、ガールスカウトの募金によって「友好の証し」として像が建てられたという。
同年3月18日に行われた除幕式で、田中さんは日本のスカウト代表としてスピーチに立った。「像の中の心は、日本、アメリカのスカウト皆の魂が含まれている。お互いに仲良くしましょう」。田中さんのアルバムには、その言葉が今も残されている。
日本は64年の東京五輪を機に、高度経済成長に突入。田中さんは高校卒業と同時にガールスカウトの活動から離れた。一方、米国はベトナム戦争が激化。ワトソンさん一家も65年、帰国した。
2人の交流は以後、途絶えてしまったが、田中さんは米国の留学生のホームステイを受け入れるなど、日米交流の一翼を担ってきた。ワトソンさんはガールスカウトの終身会員として、活動を支えている。
ガールスカウトの関係者が2人を探し当てたことで実現した、半世紀ぶりの再会。その場には、日米の現役のガールスカウトも立ち会った。
田中さんは「半世紀たった今でも、日米の子どもたちが交流を続けている。像を、友好の絆として受け継いでもらえたらうれしい」と笑顔。ワトソンさんも「スカウトの活動は少女に自信と勇気を生み出すとされている。社会や世界で活躍する女性がより多く育つことを願っている」とうれしそうに話した。
【神奈川新聞】