日本を代表する詩人、谷川俊太郎さん(82)から新しい詩が紡ぎ出されるまでを描いたドキュメンタリー映画「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」が15日から公開される。詩の源泉になったのは東日本大震災の被災地で暮らす2人の女子高生、長崎・諫早湾の漁師らが語る言葉。さまざまな土地、それぞれ異なる状況で暮らす人の語りと谷川さんの詩を通して「詩は人々の日常と向き合えるか」という根源的なテーマを浮かび上がらせている。
映画には女子高生と漁師のほか青森県のイタコの女性、都内で有機農業に取り組む親子、大阪・釜ケ崎で暮らす男性が登場する。いずれも谷川さんとは直接関わりのない人たちだ。監督の杉本信昭さん(57)が「第1次産業に携わる人」と「不公平な場所にいる人」を対象に「自分の言葉を持つ人」を探した。
それぞれ毎日の生活や自分の仕事、これまでの生き方をカメラの前で語る。
福島県相馬市の女子高生2人はともに津波で自宅を流された。東京電力福島第1原発事故の影響はなおも残り、地元には津波被害による更地が広がる。そんな中で震災をテーマにした映像を撮る活動をしている。
子ども時代の思い出や地元を離れた友人と、失ったものも少なくない。だが、「福島の人もそうでない人も意識が薄れてきている。つらいけど、忘れないようにすることが一番大事」「震災があったから、得た物もたくさんある」と力強く言い切る。
日雇い労働者として釜ケ崎で暮らす男性は、過去を忘れないために1年を1行でまとめた日記をつけている。大学で知り合った妻が30代で早世。それがきっかけで酒を飲むようになり、子どもとも離れて暮らすことになった。それから40年近く、釜ケ崎を出たり戻ったりを繰り返す。
昔の写真や手紙、妻の死を詠んだ短歌が掲載された新聞の切り抜きを手元に置き、男性はたくさんの思い出とともに生きている。自分のことを「とんでもない回り道。あいりん(釜ケ崎の別名)に漂着した難破船」と淡々と評する。
その人たちに向けて、谷川さんは自作の詩を選び、朗読する。
相馬市の女子高生には「からだの中に 深いさけびがあり 口はそれ故につぐまれる(後略)」で始まる「からだの中に」。大阪・釜ケ崎の男性には「忘れること」。
詩はすでに発表されているものだが、どれも映画の登場人物のことを表現したように聞こえる。谷川さんは「60年、書いていたら、いろんなシチュエーションの詩がある。その人が置かれている立場で、これが合うんじゃないかな、と。詩は多義的で意味が重層的なもの。どこかでちょっとでもつながればいい」と話す。
映画では、難しい現実だけでなく、仕事への情熱や楽しかった思い出も語られる。谷川さんは「変に詩にべったりというところがないことが快かった。自分もそこに詩を書く人間として、うまく入っていけるかしらという印象が強かった」と振り返る。
それぞれの語りは「あの人たちは、体ぐるみの言葉で語る」と聞こえたといい、「彼らはみんな現場がある人。われわれはどうしても頭だけの言葉で語りがち。詩はできるだけそうならないようにと思って一生懸命書くけど、言葉の世界から書いている。そうじゃない現場を持ちたい」と感じた。
彼らの言葉を聞いた谷川さんが作った詩が現れるのは映画の最終盤だ。
海に詩は溶けこんでいます
土に詩は埋もれています
空は詩に満ちています
ヒトにも詩がひそんでいますが
見つけるのは難しい
どの詩もまだ生まれていませんから
(後略)
谷川さんは言う。
「詩は『1対千』ではなく、『1対1』が千あるという考え方でいる。自由に読んでくれればいい。嫌いだったら読まなければいいし、好きだったら繰り返し読んでほしい」
監督の杉本さんも撮影の前に谷川さんの詩に触れ、「自分のことを書いているんじゃないか」と感じた作品があったという。詩は特別なものではなく、「誰かの中にだったら『詩のようなこと』は発見できるかもしれない」と思ったことが映画製作を着想するヒントにもなった。
製作には約1年半かかった。撮影する中で、谷川さんは「言葉をあまり信用しない。いつも疑っている」と口にしたという。なのに、カメラの前で自分のことを語る人や谷川さんが朗読する詩からは確かに「言葉の力」が感じられた。杉本さんは「登場する人たちに限らず、ほかの多くの人にも、話してみたら何かを持っている言葉や詩はあると思う。映画を見て80分ぐらい違う世界に行って、それが明日の日常を少しだけ変える何かになれば」と話している。
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「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」は、15日から渋谷ユーロスペースで公開。横浜市中区のシネマジャック&ベティでも上映予定。シネマジャック&ベティの問い合わせは電話045(243)9800。
【神奈川新聞】