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坂本弁護士一家殺害から25年 事件は体の一部になった ジャーナリスト江川紹子さんが思い吐露

社会 | 神奈川新聞 | 2014年11月4日(火) 10:52

江川紹子さん
江川紹子さん

オウム真理教の信者の脱会支援に取り組んでいた坂本堤弁護士=当時(33)=一家が教団幹部に殺害されて4日で25年になる。一連のオウム事件から導くべき教訓と反省を私たちは社会に生かすことができているのだろうか。坂本弁護士がオウムに関わるきっかけをつくったジャーナリスト、江川紹子さんに聞いた。

視線をそらすことも、言いよどむこともない。

「忘れるわけはない。今も折に触れて…。でも思い出す、というのとも違う」

事件の始まりも経過も、長い時間の末に出た結果も、すべて受け止めている。

坂本弁護士一家が姿を消して以降、当事者といってよい立場で教団を追い続けてきた。いま、流れた四半世紀の歳月と自らの胸中を静かに見詰める。

■捜査の遅れ 1989年5月、オウム信者の親から「子どもが教団から戻ってこない」という電話を受け、親交のあった坂本弁護士に「相談に乗ってもらえないか」と頼んだ。坂本弁護士は、家出して入信した子どもたちの安否を確認する措置を取るよう、教団側と粘り強く交渉を続けていた。

同年11月4日未明、坂本弁護士と妻都子(さとこ)さん=当時(29)、1歳2カ月だった長男龍彦ちゃんは横浜市内の自宅アパートに押し入った教団幹部らに殺害された。松本智津夫死刑囚(59)=教祖名・麻原彰晃=が殺害を指示したとされる。

だが、当時の神奈川県警幹部は刑事事件として捜査するのに消極的だった。「捜索願が出されたとき、一家の遺体を埋めた車はまだ戻ってきていなかった。その時点で組織的に広域捜査をやれば、車を発見して毛髪などの痕跡を見つけることができたかもしれない」

後に、当時現場で鑑識にあたった警察官は坂本弁護士の自宅から血液反応があり、事件性があると感じていたと松本死刑囚の裁判で証言している。一家殺害に関わったのは、松本死刑囚はもちろん、後の重大犯罪に深く関わった幹部ばかりだった。

「現場で一生懸命やっていた捜査員はたくさんいた。でもオウム事件を総括した県警の文書などを見ると、『よくやった』という感じで全く反省がない。坂本事件のときにちゃんと捜査していれば、松本サリンや地下鉄サリンの事件は防ぐことができたはず。県警の責任は非常に大きい」

一方、マスコミはオウムとの訴訟のリスクなどを恐れ、警察が大々的な捜査を始めるまで報道を控えるところが多かった。ところが捜査が始まった途端に報道は過熱。トップニュースは連日オウムネタで埋まった。「取り上げるかどうかの価値判断は警察に委ね、やるとなったら小さなネタも無理やり膨らませる。自分たちで判断しろと言いたかった」

■魅力どこに 一家の行方が分からなくなり、自身も教団に関する取材を本格的に始めた。真面目で純真な若者たちが全財産を寄進し、家族を捨てて出家していく姿を目の当たりにした。

結果的に多くの凶悪犯罪に手を染めた教団に彼らはなぜ惹(ひ)かれていったのか。「いろいろな不安や不満を持つ人々は、極端で原理主義的な思想を掲げる団体に魅力を感じることがある。オウムを教訓としてカルトの怖さを共有し、若い人たちに伝えられなかったというのは問題です」

若者を取り巻く環境や教育の問題はその後の取材の大きなテーマとなった。「将来の進路や生き方に悩む若者らにとって、先鋭的で極端で今の社会を否定するような『分かりやすさ』は魅力的に映りうる」。親や社会に感じる反発、それを受け入れてくれるのでは、と居場所を探す若者たち。教団はアレフと改称し、いまも信者を増やし続ける。あるいは遠く、イスラム過激派組織「イスラム国」にも同根の闇を見ることができる。

例えば、高校の現代社会の授業で、オウム事件を例に宗教だけでない政治的、経済的なカルト、一つの価値観に固執する「カルトマインド」などを取り上げることもできるはずだ、と考える。「カルト団体の手口や怖さを知り、そういった思考に入り込まないためにはどうしたらいいかと考える機会があるのとないのでは、ずいぶん違うのではないでしょうか」

■時の流れに 一家3人の遺体は失踪から約6年後、それぞれ新潟、富山、長野の山中で発見された。

最悪の結末を目の当たりにし、何も手につかなくなるような、「激しく感情が爆発した時期もあった」。いまも事件を取り上げたテレビ番組で一家の生前の映像が流れると、感情が動き、胸がうずいたりもする。

「自分が坂本さんとオウムをつなぐきっかけをつくったという自責の念や犯人への怒りはもちろんあります。私は坂本さんを友人だと思っていますから、友を失った喪失感も」

その情動はしかし、痛みとも違う。

「この事件の結果が明らかになるまで、そしてそれ以降もものすごく長かった。だから、事件と言うより、自分の一部みたいなものなんですよ」

自責の念に駆られ続けたが、時間の経過とともに少しずつ克服して今がある、などという分かりやすい物語ではない。受け入れるしかない状況で、暴発するかもしれなかったさまざまな感情は体に取り込まれた。

「それが、時の流れ、ということなのかもしれませんが。感情が外に向かうのではなく、自分と一体化してそこにある、という感じでしょうか」

なかなか理解されにくいのですが、と表情を崩すことなく、歯切れのいい物言いが、そこだけ途切れ途切れになった。

えがわ・しょうこ 1958年、東京都生まれ。神奈川新聞社会部記者を経てフリージャーナリストに。冤罪(えんざい)や災害、新宗教、教育などの問題に取り組む。95年、オウム真理教報道で菊池寛賞を受賞。

【神奈川新聞】

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