相模原市内のJA相模原市とJA津久井郡でつくる「北相地区JA合併推進協議会」が合併協議を打ち切り、解散の手続きが取られたことが25日までに分かった。JA相模原市が合併協議を断念することを決めたため、JA津久井郡も断念せざるを得ない状況となった。これで両JAの合併機運は遠のき、当面は市内に二つのJA組織が残ることになる。
両JAによると、合併協議は事業規模の拡大や事業機能の充実・強化などを狙いに、2015年4月の新設合併に向けて協議を重ねてきた。しかし、JA相模原市が今年7月下旬に臨時理事会を開き、「今後の合併協議は断念する」と決議。これをJA津久井郡が受け入れ、協議会を8月中旬までに解散した。
「生産組合など双方の組合員の基盤組織で、事業運営などの内容を統一するため協議してきた。しかし、構成員の違いや活動内容などの調整が進まず、統一を図るのが難しいと判断した」。同協議会長を務めてきたJA相模原市の中里俊章組合長は、断念するに至った理由をこう説明する。
これに対し、JA津久井郡の山口耕一組合長は「早くから合併に向かって妥協できるところは妥協しながら、協議を重ねてきた。組合員から合併推進に支持を得ていただけに、残念な結果というしかない」と話す。両JAの成り立ちの歴史の違いなどから調整が難航する一方で、合併のメリットに対する温度差も克服できなかったようだ。
合併推進協議会の解散に至った経緯などについて、JA津久井郡は25日から組合員に向けて支所ごとに説明会を始め、10月2日までに終える予定。JA相模原市も同6日から21日にかけ、地区単位で開催する「ふれあい座談会」(41会場)の場で説明し、理解を求めることにしている。
両JAの合併協議は、県内の農協を七つにまとめる広域合併構想「県下7JA構想」に基づくもの。両JAは合併研究会などを経て、06年に協議会を設置。翌07年には「行政合併の動向を慎重に見極める必要がある」との理由でいったん休止されたが、10年に再開され検討を重ねていた。
◆JA相模原市 1963年設立。組合員数は約2万6千人。貯金残高は4184億円、貸出金残高1156億円。
◆JA津久井郡 1959年設立。組合員数は約1万1千人。貯金残高は1256億円、貸出金残高310億円。
(今年2月末現在)
【神奈川新聞】